旅の物語

「TSUNAGARI(ツナガリ)旅」に出よう

第11回 アイヌのガラス玉

函館、北太平洋地域、そしてカナダ

〔写真:ガラス玉を使ったアイヌの首飾り〕
函館市の「北方民族資料館」には、3人乗りのバイダルカ=カヤックのほかに、ガラス玉で作られたアイヌの首飾りもたく
さん展示されていた。アイヌがガラス玉を作っていたのではない。北太平洋一帯を舞台とした毛皮交易などを介し、中国や日本本土のガラス玉がアイヌにもたらされたのだ。

〔写真:山丹の地で衣服と毛皮の交換が行われる様子〕
中国・清の王朝は黒竜江(アムール川)の下流域に拠点を設け、現地の人たちから毛皮を上納させ、代わりに絹織物などの品々を与えていたそうだ。山丹交易(さんたんこうえき)という。こうした清の動きに加え、シベリアでクロテンやホッキョクギツネを追っていたロシア人は、ベーリング海峡を渡って今のアラスカやカナダに到達し、さらにラッコの毛皮を追い求めるようになっていった。

〔写真:大阪・吹田市の「国立民族学博物館」で撮影したクロテンの毛皮の写真〕
日本から見たカナダは、広い太平洋を渡って行く場所のように思えるけれど、大昔にはカムチャッカや千島列島、アリューシャン列島、ベーリング海といったぐいあいに、船を使って島づたいに進むという別のルートがあったことに気づかされる。

〔写真:大阪・吹田市の「国立民族学博物館」で撮影したホッキョクギツネの写真〕
ロシア人はシベリアで真っ白なホッキョクギツネを捕っていたけれど、カナダのイヌイットも同じように極北の地でホッキョクギツネを捕っていた。そもそもカナダの先住民の祖先は、海面が低下した時代にベーリング海峡を渡ってアジアからやってきたと言われている。

〔写真:大阪・吹田市の「国立民族学博物館」で撮影した白樺の樹皮のカヌー〕
僕が2年間暮らした大阪には、1970年の大阪万博の跡地に「国立民族学博物館」いうかなり興味深い施設がある。そこには、すでに写真で紹介したようにクロテンやホッキョクギツネの毛皮が展示されていたし、カナダ先住民のオリジナルだと思っていた白樺の樹皮のカヌー(バーチ・バーク・カヌー)がロシアでも作られていたことを知った。世界はいろいろな形でつながっているのだ。
〔続きを読む〕第12回 カナダから来たもみの木を見たい

しあわせ写真

ガラス玉の首飾り

アイヌの女性たちが母から子へと大切に伝えたガラス玉の首飾り。「タマサイ」と呼ばれ、ちょうど胸のあたりに金属の飾り板があるものは特に「シトキ」という。このガラス玉が、毛皮交易などを通じて北太平洋地域一体を「旅した」のだ。