ブログ

「失業中のプディング」と「お菓子放浪記」

カナダ・ケベック州

「忘れられないスイーツ」忘れられない本」の話をしたいと思う。そのスイーツとは、ケベック州に住むビッキーさんというお母さんに教えてもらったメープルシロップのスイーツだ。名前は「失業中のプディング」という。一方、本の方はと言うと、これは僕が子供のころに夏休みの課題図書みたいなものに選ばれた「お菓子放浪記」という本だ。当時テレビドラマ化もされて、とにかく僕にとっては忘れられない物語なのだ。

「失業中のプディング」とは、世界恐慌から第二次世界大戦へと突入していく中、ケベックの人たちも生活が苦しくなり、そんな中でも砂糖カエデの樹液から生み出されるメープルシロップを使って甘いスイーツを作り、つらい日々を乗り越えた、というストーリーが込められている。今は温めたメープルシロップの中に小麦粉の生地を流し込み、オーブンで焼いて作るけれど、当時は小麦粉が手に入りにくかったので固くなったパンをシロップにつけて作ったそうだ。だから「失業中のプディング」という名前になった。

「お菓子放浪記」とは、太平洋戦争のころ、児のシゲル少年が、甘いお菓子が食べられる日が来ることを願いながら厳しい境遇を生き抜いていくという物語だ。感化院で出会った富永先生という女性がシゲル少年への手紙に託した言葉はなんとも言えない響きを持つ。「あのね、お菓子はあるのよ。きっと、お菓子のある日がわたしたちを待ってくれているんです」。甘いお菓子が食べられるようになることは、世の中が「幸せ」になるのとイコールなのだ。

カナダで甘いスイーツに出会うたびに、僕はなんとなく「お菓子放浪記」を思い出していた。そこまで甘くなくてもいいんじゃないかと思いつつ、やっぱり人は幸せな気持ちになれるから甘いものが好きなんだろうなあ、と。そして僕の頭の中で「お菓子放浪記」に登場する「お菓子と娘」という歌が流れ始める。「お菓子の好きな巴里(パリ)娘/二人そろえばいそいそと/角の菓子屋へボンジュール/選(よ)る間も遅しエクレーヌ」ー。まあこんな歌詞で、結局のところ、カナダの人ってみんな幸せそうに見えるから、甘すぎるけれどそれはそれでいいのだ、と最終的には納得してしまうのだ。そして、そもそも甘いものがそれほど得意ではなかったはずの僕が、最近はだんだんと甘いものが好きになってきている。年齢を重ねると好みも変わるのだろうか。さて、アルコールも好きでスイーツも好きとなると、もはや救いがない。最近はかなりの頻度で「お菓子と娘」が頭の中で鳴り響いているのだが、これは一体どうしたものだろうか。

※「お菓子放浪記」(西村滋著、講談社文庫)の一部を引用させていただきました。

カナダ人は国旗が大好き

 

 

しあわせ写真

ケベックで出会ったスイーツ「失業中のプディング」

ケベックに暮らすビッキーさんに教えてもらった「失業中のプディング」というスイーツ。日々の暮らしがどんなに苦しくても、甘いものがあればほんの少しの間、幸せな気分になれる。甘いものにはいつも、そんなストーリーが込められているように思えてならない。