旅の物語

下関を歩く

第2回 波の下の都

山口県下関市

下関、赤間(馬)関、馬関という呼び名のうち、「赤間」を関した「赤間神宮(あかまじんぐう)」は、源平合戦の最後、壇ノ浦の戦いで敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳(あんとく)天皇を祀っている。その艶やかな建築様式は「竜宮造り」というのだそうだ。

〔写真:幼い天皇を慰める神宮の門には菊のご紋があった〕
赤と白を基調としたその建物は、確かに海底の竜宮城を思い起こさせる。安徳天皇は、平家一門を率いた平清盛の孫にあたる。清盛の正室である二位の尼は、孫の安徳天皇を抱きかかえ、船から身を投げる際、「今ぞ知る みもすそ川の御ながれ 波の下にも都ありとは」との辞世の句を詠んだそうだ。だから幼い天皇を慰めるため、波の下の都が建てられた。

 

〔写真:赤間神宮にある「耳なし芳一」の像〕
ここには小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」で有名な「耳なし芳一(ほういち)」の像がある。盲目の琵琶法師・芳一が夜ごと寺を出ていくのを不思議に思い後をつけてみると、立ち並ぶ墓石の前で、鬼火に囲まれながら壇ノ浦の合戦の物語を弾奏する芳一の姿が。芳一が平家の亡霊によってあの世に連れて行かれないよう、全身に般若心経を書き込んだものの、亡霊には書き漏らした耳だけが見えたため、耳を引きちぎって去って行ったというお話だ。

〔写真:壇ノ浦の合戦で命を落とした平家一門の墓〕
こどものころ、なぜか「耳なし芳一」の話が大好きで何度も読んでいるので、赤間神宮で芳一の像を出会えたのはなんとも感慨深い。芳一の像のすぐ横には、壇ノ浦の戦いで命を落とした平家一門の墓が並んでいた。ここでは誰もが自然と手をあわせてしまうだろう。

〔写真:赤間神宮には、平家ガニについても解説のパンフがあった〕
こどもの頃の思い出としては、甲羅が苦悶に満ちた平家の怨霊の顔に見える「平家ガニ」にも、ものすごく関心があったのだが、赤間神宮にあった案内パンフによると、最近では「平家ガニ」は姿を消してしまったという。さすがに800年も経って無念さも和らいだのだろうか。小泉八雲もけっこう好きなので、いずれ八雲ゆかりの島根県松江市を訪れた際の話もご紹介したい。(つづく)

しあわせ写真

竜宮城からみ見る関門海峡

竜宮城のような赤間神宮から関門海峡を臨む。