旅の物語

アルバータの物語

第17回 そしてカナダで生きていく(完)

アルバータ州カルガリー、エドモントン

カウボーイの街カルガリーと、小麦畑が広がるエドモントンを舞台にした僕の「アルバータの物語」をそろそろ終えることにしたい。

今回の旅の目的は、誰もいなかった空っぽのプレーリーを誰が「拓いた」のかを知ることだった。それは、このカナダという国を今の姿にまで発展させてきたのは誰なのか、という問いへの答えを探す旅でもあった。

ウクライナから移民としてやってきた人たちは文字通り、自らの手で木々を切り倒し、農地を広げていった。女性だって重要な働き手だった。屋根に穴が開いた家に住みながらも、雄々しく懸命に、自らの人生とカナダという国の未来を切り開いてきたのだと思う。

あの4世代続くウクライナ系カナダ人のLay Lopushinkskyさんご一家も、月日を重ねる中で生活は豊かになっていき、ご家族の下に自家用車がやってくるような日も訪れた。
そして僕は、カナダの歴史に触れる旅を続けながら、実はずっと同じことを考えている。
この国の歴史には古今無双の豪傑とか、天才軍師とか、傾国の美女とか、歴史小説家が飛びつくような「キャラの立った」登場人物はまったくと言っていいほど出てこない。

同じ移民の国アメリカにだって、誰もが知っている将軍とか、早撃ちのガンマンとか、歴史に名を残す大統領がいるにもかかわらずだ。だからこう思う。カナダの歴史をつくってきたのは、名もない健気(けなげ)な人たちだと思う。教科書になんか絶対に載らないような人たちだ。彼らは真面目に働き、家族の団らんを心の拠り所とし、たまにはみんなでピクニックに行ったりする。

仲間とチームをつくって野球をやったり、カーリングを楽しんだり。そこにあるのは特別なストーリーではない。あるのはただ日々の生活、人間的な暮らし、ということだと思う。
Layさんのお宅では、復活祭の「イースター・エッグ」をたくさん見せていただいた。
もともとは蝋纈(ろうけつ)染めで装飾されたウクライナ伝統の卵細工で、「ピサンカ」の名で呼ばれている。

ウクライナの人たちはカナダで暮らしながらも、こうした伝統工芸や伝統の踊り、料理など、自分たちの文化を今も大切に守り続けている。例えばクリスマスには七面鳥を食べるというイメージがあるけれど、ウクライナの人たちはイブに肉を食べることは禁じられているという。クリスマス・イブに食べるのは魚であって、クリスマスになってやっと七面鳥などの肉を食べるんだそうだ。

 

Layさんのお宅では、こんなにいっぱいのお土産をいただいてしまった。「CANADA」と書かれた真っ赤なキャップにストラップ、カナダの地図をかたどったキーホルダーなどなど。カナダの国旗まで入っていた。CANADA、CANADA、CANADA。ウクライナの伝統を守ってはいるけれど、自分たちはカナダ人なんだという強烈な自負。いただいたお土産を見ながら、僕はそんなふうに感じていた。

僕は日本人だけれど、僕や僕の先祖が日本をつくってきた、なんて自負は露ほどもない。ただ偶然、日本という国に生まれただけだ。でもカナダの人たちは、この大地を切り開いて国を豊かにしてきたのは、つまりこの国を「拓いた」のは自分たちなんだという自負に満ちているように思う。
さて、旅はいつもあっという間に終わってしまう。日本に戻ってこうして原稿を書いていると、やはり何かやり残したような気になってくる。

そうそう、ウクライナの伝統料理も食べに行ったけれど、お目当てのレストランが休みだったため残念ながら味わうことができなかった。その時に僕が代わりに食べたのが、カナダ人なら誰もが知っているドーナツチェーン「Tim Hortons(ティム・ホートンズ)」のスイーツ。ナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のエドモントン・オイラーズ(Edmonton Oilers)を応援するためのものだ。恐ろしく甘かった。口の中でジャリジャリと音がした。どうしてこんなチョイスをしたのか自分でもいまだに分からない。リベンジのため、いつかまた、ウクライナの伝統料理を味わうべく「アルバータの物語」を見に行かなくてはならないのかもしれない。(おわり)

※この記事は2015年の取材に基づいて執筆しています。

⇒〔最初からもう一度読む〕第1回 Farm&Ranch

 

しあわせ写真

ウクライナ伝統の「ピサンカ」

ウクライナ伝統の「ピサンカ」。卵の殻にそれはそれは見事な図柄が描かれている。ウクライナ系の人たちは、自分たちの伝統を大切に守りながら、同時にカナダ人としての誇りを胸に抱いているのだ。