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「withコロナ」とイヌイットの長老

ヌナブト準州 ケープ・ドーセット

2019年夏、僕はイヌイット取材のため、カナダの極北にあるヌナブト準州のケープ・ドーセットという街を訪れていた。取材の内容は別の機会にお話ししたいが、今思い出されるのはそこで出会ったイヌイットのエルダー(長老)の言葉だ。こんな秘境にもクルーズ船などで観光客がやってくる。僕がイヌイットの地を訪れる観光客について聞くと、エルダーはこう言った。「われわれのことを知りたい、学びたいと思って本当の姿、現実の姿に興味を持って来てくれるツーリストなら大歓迎だ。ただ見て帰るだけなら、それは嫌だな」


イヌイットが暮らす土地はとにかく遠かった。成田発のエアカナダ便でトロントに着いた後、国内線に乗り継いで夜遅くにオタワに到着。そこまでで既に15時間以上が経過していた。翌朝、オタワからまっすぐ北上してヌナブト準州のイカルイトへ。半日ほど取材してさらに一泊。翌朝の便でようやくケープ・ドーセットの空港に着いた。舗装道路などない。土ぼこりを舞い上げるわずかな土が岩を覆い、そこに住居と人がへばりついているような街だ。

ここはイヌイット・アートの拠点で、ホッキョクグマやセイウチなど石の彫刻、そして版画制作に携わるイヌイットが暮らしている。「withコロナ」時代の旅は、今までの旅とはまったく違ったものになるのだろう。大人数でドヤドヤやって来て、見たいものだけを見てあっという間に次の目的地へと去っていく。SNSで映える写真が目的だったり、声もかけずに住民にカメラを向けたり。そんな旅がこれまで無数に存在した。しかしコロナによって世界中の誰もが、外部から人がやって来ることに対して不安を感じるようになった。観光客はお金を払う人、地元の人はお金をもらえるのだから多少の我慢は当然、という旅は成立しなくなるはずだ。

だから最近、あのエルダーの言葉が思い出されてならない。そこに暮らす人たちの歴史や伝統文化、営み、ものの考え方を知ろうともせず、ただ「楽しむ場所」として訪れるような人は、地元の人にとっては「招かれざる客」だ。これからは旅人も地元の人も幸せになれる、いわばSDGs的な方向性をもった旅だけが許されるのだと思う。イヌイットは今、彫刻と版画というアートを「なりわい」に生きている。なぜそうなったのか。以前の彼らは定住すらしていなかった。夏はテント、冬は雪の家「イグルー」で暮らし、白人社会で毛皮として高値がつくホッキョクギツネやアザラシを捕って暮らしていた。なぜ彼らの生活は変わってきたのかを知る必要がある。イヌイットの物語は極端な例かもしれないが、「withコロナ」時代には、旅人と地元の人が信頼しあい、リスペクトしあう旅が求められているのは間違いないことだ。

ケベックシティはフランスの香りが漂う

 

 

 

しあわせ写真

僕が出会ったイヌイットの長老

極北の地、ケープ・ドーセットで出会ったイヌイットのエルダー(長老)。彼の言葉は、「withコロナ」時代にあって、旅はどうあるべきかを僕に教えてくれた。