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ケベックシティはフランスの香りが漂う

ケベックシティ

ケベックシティというのは本当に魅力的な街で、僕も本当に大好きだ。アメリカに勤務している日本人が、おいしいものを食べるためにわざわざ国境を越えてケベックシティまで車を走らせる、といった話を聞いたことがある。なにしろフランス文化が漂う街だ。料理がおいしくないわけがない。そのケベックシティのランドマークこそ、ホテル「シャトー・フロンテナック」。かつてこの地にあった「ヌーベル・フランス」の総督だったフロンテナック伯爵からその名がとられた。つまりこの地は「ヌーベル・フランス」という名のフランスの植民地だった。だからここには今もフランス文化の香りが漂っているし、街もフランスっぽくてムードがあり、料理も本当においしい。

フランスが植民地を築き、そのあと戦争を経てイギリスの植民地になった。今のカナダで英語とフランス語の両方が公用語として使われているのはそのためだ。のちにカナダとなるこの地にフランス国王の命を受けた探検家ジャック・カルティエやってきたのは、1534年のこと。日本で言うと織田信長が生まれた年だ。カルティエは「集落」を意味する先住民の言葉「カナタ」からこの地をカナダと名付けたし、セントローレンス川も彼の命名に由来している。

それからおよそ70年後の1603年、今度は探検家のサミュエル・ド・シャンプランがやって来た。既に織田信長はこの世にはなく、日本では徳川幕府が開かれている。シャンプランはここに木造の砦を建設した。そうやってフランスの植民地である「ヌーベル・フランス」、そして今のケベック・シティが形作られていった。

カナダを旅するにあたって、別に歴史の勉強をすべきだと言っているわけではない。しかし、少し歴史を知っているだけで旅はずっと豊かなものになる。ケベックシティはなぜフランスの香りが漂うのか、なぜモントリオールは「北米のパリ」と呼ばれるのか。「withコロナ」の時代における旅は、その土地の歴史や人々の営み、喜びや悲しみを少しでいいから知っていることが、大きな意味を持つのだと思う。ケベックシティの中心部には、土地の歴史を壁画に描いている建物がある。ケベックシティではそんな壁画を見て、ちょっとでいいから勉強してみてほしい。訪れる先のことを少しでいいから知り、リスペクトをもって臨む。そんな姿勢がたぶん、「withコロナ」の旅においては不可欠のものになるように思えてならないのだ。

「withコロナ」とイヌイットの長老

 

 

しあわせ写真

ケベックシティ

ケベックシティのランドマークとも言えるホテル「シャトー・フトンテナック」。名前の由来はかつてのヌーベル・フランスの総督「フロンテナック」からとられている。