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香港・横浜・バンクーバー

ブリティッシュコロンビア州 バンクーバー

「オバマ・クッキーから見えること」という回で、エリザベス女王の名代たるカナダ総督の話をしたので、その続きからこの回を始めたいと思う。ハイチからの難民だったミカエル・ジャン総督のひとつ前、第26代総督もエイドリアン・クラークソンという女性の総督だった。彼女は香港生まれの中国系カナダ人。第2次世界大戦中、イギリスの植民地だった香港に日本軍が侵攻したため、戦火を逃れ、ご両親とともにカナダにやって来た少女がのちのカナダ総督なのだ。同じイギリスの植民地だったカナダは、香港の人にすれば避難先や移民先として考えやすいのだろう。

かつては香港から横浜を経由して、カナダのバンクーバーまでをつなぐ航路が存在した。「CANADIAN PACIFIC RAILWAY(カナダ太平洋鉄道)」という鉄道会社が運航する定期航路だ。だからカナダ太平洋鉄道=CPRは、写真のような、背中に赤ん坊を背負った日本人女性と子供のポスターなんかも作っている。このポスターは「バンクーバーの朝日」という映画にもちらっと出てきたりして、僕にとってはなかなか印象深いポスターなのだ。また、経由地であった横浜の中華街には、香港を含む広東省出身の方が多いと聞く。そしてバンクーバーにもチャイナタウンがあり、その南部のリッチモンド周辺は中国系の人が多く暮らす街だ。

このページのトップ写真はCPRの従業員の制服のボタン。中心に描かれているのはビーバー。なぜビーバーかは別の機会にじっくり話したいと思うが、ここで伝えておきたいのは、ビーバーをトレードマークに持つ鉄道会社=CPRは、カナダの歴史にとって非常に重要な役割を果たしたということだ。香港からの船が到着するバンクーバーには鉄道駅があったのだが、そこにたどり着く列車は、あのカナディアン・ロッキーを越えてやって来た。このロッキー越えという世紀の大偉業についてもまた別の機会にしっかりお話ししたい。

さて、白黒の写真は1886年、モントリオールを出発した蒸気機関車がバンクーバーの少し手前、ポートムーディーに到着した際の写真。そして翌1887年、ついに列車はバンクーバーに到着する。カナダは大西洋から太平洋まで鉄路で結ばれた後、太平洋航路により香港までつながった。初めてバンクーバーに到着した機関車「ENGINE374」は今も市内に展示されている。だからかつては、香港から船でお茶が運ばれ、バンクーバーから列車で大陸を横断し、再び船で大西洋を渡ったという。最後はロンドンで上流階級によるティータイムに供されたのだろうか。少し歴史を知ると、中国系の女性総督も、蒸気機関車の展示も、横浜の中華街やバンクーバーのチャイナタウンも、ちょっとずつ違って見えてくる。そして旅は一層楽しくて、興味深いものになってくるのだ。

プレーリーを走る列車

しあわせ写真

カナダ太平洋鉄道の制服のボタン

CANADIAN PACIFIC RAILWAY(カナダ太平洋鉄道= CPR)の制服のボタンには、なぜかビーバーが描かれている。その理由に関しては壮大なストーリーがあるのだけれど、さらにCPR、つまり「鉄道とカナダ」にもこれまた壮大なストーリーがあるのだ。