旅の物語

メープルシロップ ワンダーランド

第6回 サップが春を連れてくる・その1

カナダ・ケベック州

毎年2月末から3月の始めごろになると、砂糖カエデの木から2~3%の糖分を含んだ樹液=メープル・サップが流れ出す。それは、昼間の気温が2~3度、夜間がマイナス1度ぐらいという条件がそろう時期にだけ起こる現象だ。だから樹液を収穫できるのは、1年のうちでわずか5週間ほどにすぎない。

砂糖カエデの幹に穴をあけ、そこに蛇口のような採取口を取り付けてバケツをぶらさげる。この時期の砂糖カエデは夜間にたっぷり地中の水を吸い上げているので、昼間になるとこの穴から幹の内部の樹液がポタポタ流れ出し、バケツにたまっていく仕組みだ。

樹液の収穫はイコール、メープルシロップづくりの始まりだ。それは同時に、長かった寒い冬がようやく終わり、いよいよ春に向かっていく、そんな待ちに待った季節の訪れをも意味している。
だからケベック州の人たちは、樹液の収穫が始まると家族や仲間でシュガー・シャックに集りパーティーを開く。春の到来を祝うこの集まりは、「シュガーリング・オフ・パーティー」と呼ばれている。

モントリオールから車で1時間ほど、ケベック州イースタンタウンシップスにある「ピック・ボア」。3月はじめのこの日、僕は「キツツキ」という名を持つこのシュガー・シャックで、主人のアンドレさんの親戚や友人たちの勢揃いに同席させてもらえることになった。

アンドレさんは、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」にハリソン・フォードの父親役で出演した時のショーン・コネリーに似た、なかなかの男前だ。
それにしてもだ、アンドレさんの親戚やら友達やら、いったい何人集まっているのだろうか。50人はゆうに超えている。次々にやってきては頬にキスをしてハグをして、久しぶりに会えたことをお互いに喜び合う。
高齢の人も若い人も子供も、みんなワイワイ、ガヤガヤ。

シュガーリング・オフ・パーティーでは、シュガー・シャックならではの料理がふるまわれる。そう思って見ていたけれど、なかなかそうはならず、みんな立ったまま延々と楽しいおしゃべりを続けている。部外者の僕はただただ、ボ~ッとその光景を眺めているしかなかった。そしてこの楽しいおしゃべりは、なんと1時間以上も続いた。

段取り重視の日本人からすると目の前の状況はなかなか理解しがたいけれど、この明るさとこだわりのなさがカナダらしいとも思う。
仕切る人は誰もいなくて、ただただおしゃべりが続き、そのうちに缶ビールが手から手へと回され、お互いに写真を撮っては笑い、またハグが繰り返される。

そのうち何となくみんなが席に座り始め、ハムと豆のスープが配られ始めた。スープのあとはブッフェ方式で、それぞれが好きな料理を皿にとる。ようやくシュガーリング・オフ・パーティーの料理の始まりだ。定番の卵のスフレは甘味があってふわっふわ。ソーセージも山盛りで、スモークされた柔らかい豚肉も絶品だ。ベイクドビーンズに、小さなジャガイモを輪切りにした丸いプライドポテト、たっぷりのピクルス。どれも素朴で飾らない味だ。

日本人に馴染みのない味としては、豚の脂身の塩漬けをカリカリに揚げたものや、豚の耳を薄くスライスして、やはりカリカリに揚げた料理なんかもある。豚の耳の方はかなり塩味が効いていて、その形からだろう、「キリストの耳」という名前がついている。ビールにぴったりの味だ。

シュガー・シャックならではのこうした料理が生まれた背景について、アンドレさんに尋ねてみた。
「森の中でキャンプをしながら仕事をするランバージャック(きこり)の料理からきているんだ」
そう言われてみると、これらの料理の素朴さの意味が分かってくる。

樹液の収穫が始まると、今年一番の砂糖やシロップを求めて、街から親戚や友人がやってくる。彼らは商品を買ってくれる顧客であると同時に、樹液の収穫作業を手伝ってくれる仲間でもある。
しかし、料理でもてなそうにもシュガー・シャックのある森にレストランなどあるはずがない。保存の効く食べ物を中心に、みんなに喜んでもらおうと生まれたのが、このパーティーの料理なのだろう。

「豚肉の脂身の塩漬けも、寒い中で力仕事をするための知恵から生まれた保存食なんだ」とアンドレさん。
アコーディオンの軽快な音楽が流れ、楽しい宴を盛り上げる。赤と黒のチェックの柄のシャツは、シュガー・シャックで働く人やきこりたちの制服みたいなものだ。腰にはサッシュが巻かれている。いかにもケベックらしい。
みんなが音楽に乗ってスプーンを叩き始めた。昔は楽器だって誰もが持っているわけじゃなかったので、2本のスプーンをカスタネットのようにしてリズムを取った。みんなスプーンの扱いに慣れてるから叩き方が上手だ。

日本だって昭和の宴会では、興が乗ってくると箸で皿をたたいて、なんてことがあった。「知らぬどうしが、小皿たたいてチャンチキおけさ」。洋の東西を問わず、人のやることはいっしょなのだ。
砂糖カエデの幹から樹液が流れ始め、メープルの甘い香りが春の到来を告げる。日本で言えば、桜が咲いて花見に繰り出すようなもんだろうか。春は人の心をウキウキさせる。この思いはきっと、万国共通なんだろう。

この記事は2014年ごろの取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを一部、加筆・修正しています。

⇒〔続きを読む〕第7回 サップが春を連れてくる・その2

しあわせ写真

シュガーリングオフ・パーティー

ケベックの人たちにとって、シュガーリングオフ・パーティーは春の訪れを告げる楽しい祭りなのだ。