旅の物語

永遠のカヌー

第5回 トム・トムソンの湖

オンタリオ州・アルゴンキン州立公園

アルゴンキン州立公園でのキャンプには、いくつかのルールがある。例えば出発の前に見た展示にあったように、熊を寄せ付けないために食料は木の上の方に吊るしておかなければならない。

香りが熊を引き寄せるので石鹸なども同様に木の上だ。そのほか、ガラス瓶や缶入りの食品などの持ち込みも禁止。人の痕跡を極力残さずに自然を守り続けていくためのルールだ。そしてアルコールも厳禁。理由は・・・なぜなんだろうか。キャンプの夜にバカ騒ぎするヤツがいるからかもしれない。

手を洗ったりする水は、このような折りたたみ式の容器に湖の水を入れて使う。なかなか便利なグッズがあるものだと思う。便利と言えば、僕は今回のキャンプで初めて存在を知ったのだが、湖の水を濾過(ろか)して飲み水にするグッズがあって、これなんかは日本でも災害時に役に立つと思う。

カナダのアウトドア用品店では、普通にこうした手動の濾過器がたくさん売られていた。取っ手を引いたり押したりして水を濾過する。災害の多い日本だけに、もしもの時に結構活躍するような気がする。

それから、林の中へ続く道の入口に置いてあるこのバッグの中には、トイレットペーパーなど用を足す時に必要なものが入っている。この荷物がなければ誰かが林の奥にあるサンダー・ボックスを使っている目印になるのだ。それならやっぱり、蓋をバターン!としめて雷を鳴ら、「終わりましたよ」と伝える必要などそもそもないように思うのだが、このネタもちょっとしつこい感じがするのでこれぐらいにしておきたい。


さて、僕がキャンプを体験した湖の名前は、「レイク・トム・トムソン」という。湖の名前になったトム・トムソンは、1900年代初頭に活躍した、カナダで最も有名と言っていい画家だ。この像のイケメンがトム・トムソン。1912年にアルゴンキン州立公園にやって来たトムは、カヌーで公園内をめぐり、キャンプをしながら大胆な色使いと荒々しいタッチでアルゴンキンの自然を描いてみせた。残念ながら40歳の誕生日を目前にした1917年7月、釣りに出かけたまま「カヌー・レイク」という湖で水死体で発見された。今回のキャンプで、僕がまずカヌーをレンタルした、あの湖だ。

公式にはカヌーでの事故とされているが、トムがカヌーの名手だったことから他殺説も唱えられている。彼の死の原因はともかく、描き出したその絵は、ヨーロッパ絵画の模倣が中心だったカナダ芸術界に大きな影響を与えることになる。そして1920年、彼に触発された芸術家たちが「グループ・オブ・セブン」という芸術家集団を結成したことで、トム・トムソンはその死後もカナダで大きなインスピレーションを与え続けることになった。

トムとグループ・オブ・セブンの作品や活動が、ヨーロッパともアメリカとも違う、カナダの文化的ナショナリズムを定着させたと言われている。つまり、カナダ人がカナダという国や大地や自然を見る、その見方を変えさせ、模倣や植民地意識から脱却させた、ということなのだろう。

アルゴンキン州立公園を訪れる際の拠点となる街ハンツビルの中心部にはトムの像があって、在りし日のトムの姿に思いをはせることができる。そのトムはノートパソコンのような道具を手にしていた。これでアルゴンキンの自然を小さく写しとり、あとでキャンパスに大きな絵画として描いていったのだろう。

この便利な道具を積み込んだカヌーを自在に操り、アルゴンキンの自然をめぐり、気に入った場所でカヌーを停め、絵を描き、テントを張って眠りにつく。それはそれは本当に静かな時の流れなんだろうと思う。トム・トムソンの名前がつけられた湖のほとりにテントを張った僕は、時計ではなく、太陽の光の具合や、流れていく風が肌に当たる感覚で、時の移ろいを感じていた。

もしアルゴンキン州立公園でカヌーを体験する機会があったら、トム・トムソンが生きた頃と何も変わらない、静かな時の流れを感じてほしい。現代風の「アウトドア」なんて言葉が少々、薄っぺらく感じられるんじゃないだろうかと僕は思う。
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シリーズ「永遠のカヌー」は2015年の取材に基いています。

 

しあわせ写真

カナダを代表する画家、トム・トムソン

カナダの芸術界に大きな影響を与えたトム・トムソン。アルゴンキンの森を愛し、キャンプをしながらカヌーで湖を回り、荒々しいタッチでカナダの大自然を描き出した。