旅の物語

永遠のカヌー

第6回 生き返った森

オンタリオ州・アルゴンキン州立公園

湖畔でのランチを終え、僕は再びトム・トムソンが愛したアルゴンキンの湖へとカヌーを漕ぎ出した。

進んでいくと、湖面には睡蓮の葉と白い花が広がり始めた。緑と黄色の丸い葉の絨毯(じゅうたん)に浮かぶ白い花。音で表現すると「ほわり、ほわり」という感じだろうか。

手にした白い花を、音をたてないように湖面にそっと置いたような咲き方だ。ビーバーの毛皮を運ぶバーチ・バーク・カヌーが描かれた古い絵にも、この睡蓮は登場する。ずっと昔から、カナダのカヌーの旅にはこの光景が欠かせないのかもしれない。

この自然豊かなアルゴンキンは1893年に、オンタリオ州初の州立公園に指定された。トム・トムソンがやって来るおよそ20年前のことだ。「手つかずの自然」という表現があるが、確かにアルゴンキンは「手つかずの自然」そのもののように見える。しかし、かつてのアルゴンキンは荒廃し、一度死にかけている。自然が豊かだったからではなく、自然が失われそうになったからこそ、アルゴンキンは州立公園になったのだ。

1800年代の初頭、アルゴンキンには木造船舶の建材にぴったりなホワイトパインの巨木が無尽蔵と言っていいぐらい立ち並んでいた。帆船のマストなどにぴったりな巨木の存在を知ったイギリスは、1830年ごろからアイルランド移民などをたくさんこの森に送り込み、次々と巨木を伐採させた。冬の間に切り倒された木は馬にひかれ、凍ったオタワ川の近くへと運ばれる。春になって氷が溶けると、筏のようにして川面に浮かべてオタワへ運んでいく。

今はカナダの首都となったオタワはかつて、川ぞいの小さな製材業の街だった。「オタワ」になる前の名前は「バイ・タウン」。さらにその前は、「ランバー・タウン」。荒くれ者の木こり=ランバージャックたちが集まる治安の悪い街だったようだ。なにしろ1859年に英国のビクトリア女王によってカナダの首都に選ばれた時には、トロントの新聞記者がオタワを称して「最も北極点に近い材木村」と評したほどだ。アルゴンキンで切り出された巨木は川の流れに乗ってこのオタワに集められ、そこからはセントローレンス川を流され、ケベックシティへと運ばれた。

ここで巨木は、大きな木造の帆船に積み込まれるのだが、丸太のままでは船が揺れた時に不安定で、無駄なスペースも生まれてしまう。だからアルゴンキンで伐採された丸い巨木は、斧で四角く削られた。当時はこの作業を斧一本でこなしたというのだから、どんでもない技術と体力、そして忍耐力だと思う。

こうした人間の営みがたった70年間続けられた結果、無尽蔵と思われたアルゴンキンの巨木は伐採し尽くされ、放置された枝などが乾燥して山火事も頻発した。そして森は丸裸になってしまった。森林や野生動物の保護、水源の確保を目的に州立公園として再スタートしたアルゴンキンは今、見事に再生され、徹底した管理の下、森林の伐採や狩猟も続けられている。

僕はムースを間近で見たし、鳥たちもいっぱい目にすることができた。公園内はどこもかしこもメープルやホワイトパインの木々でいっぱいだ。木こりたちは生きるために大西洋を渡ってアルゴンキンにやってきた。大勢の男たちが窮屈で窓すらない小屋に押し込められ、ひたすら伐採作業に従事させられたという。そこに誰の悪意もない。ただ言えるのは、森を殺すのも生き返らせるのも、健気な人間の営みだ、ということだろう。
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シリーズ「永遠のカヌー」は2015年の取材に基いています。

しあわせ写真

湖に浮かぶ白い睡蓮の花

カヌーで進んでいくと、湖面にたくさんの睡蓮の花が現れる。緑の葉の絨毯の上に「ほわり、ほわり」を浮かぶ白い花。ずっと昔から、この花はカヌーの旅とともにあったのだ。