旅の物語

アルバータの物語

第13回 毛皮の砦

アルバータ州エドモントン

ウクライナの人たちなど、ヨーロッパからの移民が開拓を始める以前のエドモントンには、鬱蒼とした林が広がっていた。彼らは木を切り倒して林を農地に変えていったけれど、樹々が生い茂っていた頃のエドモントンには、実は丸太で作られた巨大な砦がそびえていた。

1846年、現在はアルバータ州の州議事堂がある場所にハドソンベイ会社が建設したのが、毛皮交易の拠点である「フォート・エドモントン」だった。当時、独占的な毛皮交易の権利を与えられていたハドソンベイ会社は、この砦の中に日用品やピストルなどの商品を用意していた。

近隣の先住民は、自ら捉えたビーバーなどの毛皮を持ち込み、砦の中で物々交換による「交易」が行われた。フランスの探検家、サミュエル・ド・シャンプランがやってきて、今のケベックシティに毛皮交易のための丸太の砦を建設したのは1608年のこと。もっと毛皮を、もっと毛皮を、とビーバーを追い求めるヨーロッパ人は、それから200年以上かけてカナダの西から東にまで交易の範囲を広げ続け、1846年にカナディアンロッキー東、のちのエドモントンにまで達していたのだ。

丸太の砦から始まるエドモントンの歴史をそのまま再現した施設が、「フォート・エドモントン歴史公園」だ。砦の跡が1915年に取り壊されたことから、歴史的建造物の保存を求める市民が声をあげ、1969年から公園の建設が始まった。

現在の「フォート・エドモントン歴史公園」は、毛皮交易の時代だけでなく、エドモントンに鉄道が到達した1905年や、第一次世界大戦後の11920年代のエドモントンの姿を忠実に再現している。
さて、ここで話を丸太の砦「フォート・エドモントン」に戻したい。先住民の人たちは砦に毛皮を持ち込んだだけではない。砦の中で暮らす先住民の女性もいた。毛皮交易においては、ヨーロッパから来た白人男性が先住民の女性と結婚するケースも多かったという。

そう聞くと、なにやら虐げられていたように思うかもしれないけれど、砦の中にはヨーロッパ人の男性と先住民の女性と暮らすための部屋も設けられていた。彼女たちは、ビーバーの毛皮を持ち込む先住民たちとの橋渡し役であり、カナダでの慣れない暮らしを支える存在でもあった。そんな当時の毛皮交易の姿が、「フォート・エドモントン歴史公園」では体感することができる。

しかし、この砦ができた頃、植民地・カナダの経済を牽引してきた毛皮交易は既に斜陽の時を迎えようとしていた。既にビジネスが成り立つようなエリアでのビーバーは取り尽くされ、ビーバーの毛皮から作られる高級帽子ビーバーハットは、パリ製のシルクハットに取って代わられようとしていた。ハドソンベイ会社に認められていた毛皮の交易独占権も1859年にはその期限を迎え、多くの事柄が毛皮交易の「終わり」を告げ始めていた。

イギリス、そしてカナダ政府は既に、毛皮交易に代わってアルバータなどカナダ西部での農業の可能性に関心を寄せるようになっていた。そこには農業に適した肥沃な土地が広がっていたのだ。そして1891年、エドモントンに初めてウクライナ移民がやってきた。1905年にはカナダ北部鉄道によって、エドモントンを通る大陸横断鉄道が敷かれている。ビーバー猟の終焉に伴い、エドモントンは農地の開拓と移民受け入れへと大きく動き出していったのだ。(つづく)

※この記事は2015年の取材に基づいて執筆しています。

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しあわせ写真

「フォート・エドモントン歴史公園」

毛皮交易のための丸太の砦から始まるエドモントンの歴史をそのまま再現した施設が「フォート・エドモントン歴史公園」だ。