旅の物語

ケベック謎解きの旅

第14回 ケベコワの誇り

カナダ・ケベック州

陽気なスノーマン、ボノムは、公式に認められたファー・トレーダーの証である赤い帽子「トゥーク(Tuque)」をかぶっていた。そしてボノムの謎を解明するためのもう1つの手がかりは、腰に巻かれた帯だろう。「サッシュ(sash)」と呼ばれている。防寒具の上から腰で巻けば帯となるし、重たい荷物を背負う時には腰のまわりをぐるぐる巻きにすることでコルセットの役割も果たす。


この写真は、かつてのサッシュの使い方を再現したものだ。重量挙げの選手が腰に皮のベルトをしめるのと同様、思い荷物を運ぶ際にサッシュが腰を保護してくれている。さらに、頭に別のサッシュを引っ掛けて背中の荷物を固定するのにも使えるのだ。

ヌーヴェル・フランスが終焉を迎え、ケベックの地がフランスからイギリスのものとなった後、フランス人はイギリス人から一段下に見られ、農業や林業などのほか、毛皮交易でのカヌーの漕ぎ手などの仕事に従事するようになっていった。分かりやすく言えば肉体労働者だ。
カヌーの旅では、川や湖が途絶えるとカヌーと荷物を担いで陸上を移動した。その時、サッシュは重い荷物を背負うために欠かせないツールだったのだろう。だとすると、ボノムの正体は正規の毛皮交易人ではなく、カヌーの漕ぎ手なのだろうか。


ボノムの「謎」を解明するため、僕はカナダの首都オタワにある「カナダ歴史博物館」を訪れた。建物全体がカヌーを模した流線型をしていて、柱はカヌーを漕ぐパドル、入口はビーバーの顔をイメージしているという。まるでカナダを象徴するような博物館だ。
研究員のチームリーダーであるブノワさんにガイドをお願いし、カナダ全土の歴史を学ぶ「カナダホール」を巡っていく。

途中、ふと目をやると展示物の中に、ボノムのものとそっくりのサッシュがあった。その場所は、1837年、既にイギリス領となった「カナダ植民地」で、支配される側となったフランス系住民が起こした反乱を紹介するコーナーだった。なぜこの帯がここに展示されているのか。尋ねてみるとブノワさんはこう答えたのだ。

「これはペイトリオット(愛国者)の象徴なのです」
よく見ると、近くの絵には、ボノムのトゥークに似た赤い帽子をかぶっている人たちがたくさん描かれていた。赤いトゥークはライセンスを持つ正規のファー・トレーダーを示すものだというケベックで得た情報を、専門家のブノワさんに改めて確認してみる。すかさず「その通り」という答えが返ってきた。

1759年にイギリス軍の攻撃によってケベックが陥落したことで、約150年間続いたフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス」の時代は終わり、以後、ケベックはイギリスの植民地となった。それからおよそ80年後、フランス系「カナダ人」たちは、ケベック奪還を目指して蜂起したものの、イギリス軍の前に敗北を喫した。その戦いを主導したの人たちは「ペイトリオット」と呼ばれた。

展示コーナーで後ろを振り向くと、捕らえられて牢獄に入れられた「ペイトリオット」の人形が展示されていた。腰にはサッシュが巻かれている。ボノムと同じじゃないか。
ブノワさんの説明によると、軍隊としての統一した制服もない中、戦いにはサッシュを締めた人々がたくさん加わったことで、このサッシュがペイトリオットの「象徴」のようになったのだという。その中には、フランス人と先住民の女性との間に生まれた「メイティ」と呼ばれる人たちも含まれていたかもしれない。彼らの連帯感を強めたのが、腰に巻いたサッシュだった。

サッシュの網目模様は、先住民の「矢」をデザインしたものだという。もともと先住民が宗教的な理由で首にかけていた”帯”が時を経て、腰に巻くサッシュに変わっていったらしい。だから、先住民との関わりが深かったフランス系の人々やメイティが、先住民の「矢」をデザインしたサッシュをつけているのも頷ける話なのだ。
じっくり見ているうちに、展示物の中にはたくさんの”ボノム”がいるような気がしてきた。頭には赤いトゥーク、腰には先住民との関わりの深さを示し、かつ、カヌーを担いで陸地を進む際には腰を守ってくれるサッシュを締めたフランス系やメイティたち。彼らはイギリスの支配のもとで暮らし、反乱軍に身を投じた。

カナダ「始まりの地」であるケベック州では1995年、カナダからの分離独立をかけた州民投票が行われ、賛成49・4%、反対50・6%という僅差によりケベックがカナダにとどまったという経緯がある。
ケベックのフランス系「カナダ人」は、自分たちを「カナダ人」ではなく「ケベコワ」と呼ぶ。
誰がボノムを生み出し、なぜボノムに赤いトゥークをかぶらせ、どんな思いで腰にサッシュを締めさせたのか、歴史家でもない僕には正確なところは分からない。

だから僕が言っていることはただの想像であり感想でしかない。でも、あのご陽気なスノーマン、ボノムという存在には、ケベコワの誇りが込められているような気がしてならないのだ。「俺たちはカナダ人だけど、ケベコワなんだ」という誇り。
その風貌から「Joie de Vivre」(ジョワ・ド・ヴィーヴル=生きる喜び)の方が似つかわしいボノムだけれど、実は本当にぴったりなのはあの言葉、
「Je me SOUVIENS」(ジュ・ム・スヴィアン=私は忘れない)
の方なのかもしれないと、僕には思えてならないのだ。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアター https://www.canada.jp/ に掲載したものを加筆・修正しています。

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しあわせ写真

ケベック州の旗

カナダの各州の中で、最初に制定されたケベック州の州旗。青地に白十字、そしてフランス王家ゆかりのユリの紋章が描かれている。