旅の物語

ケベック謎解きの旅

第15回 そして、すべての謎がつながった(完)

カナダ・ケベック州

ケベックを舞台に僕が追いかけた3つの「謎」、ビーバー、メープル・シロップ、そしてボノム。3つの「謎」はお互いに深くつながりあっていて、今のカナダの姿がどうやってできたのかを僕らに教えてくれる「謎」だった。
ビーバーの毛皮交易を介して一定の協力関係があったからこそ、先住民から砂糖カエデの樹液の甘さが伝えられ、ヨーロッパ人はそこからメープル・シロップを作り出した。
のちにカナダとなる北米の地は、フランスのものからイギリスのものとなり、その対立は現代に至るまで根深いものがあるけれど、おかげでカナダは英語とフランス語、2つの公用語を持つというユニークな国となった。そんなカナダを象徴しているのがボノムのように僕には思える。

赤いトゥークをかぶり、腰にサッシュを巻いたボノムの姿は、イギリスの支配と戦ったフランス系の「ペイトリオット」そっくりだけれど、そのボノムは今やケベコワだけでなく、カナダ国民みんなに愛されるキャラクターになっている。
なにしろこのスノーマンときたら、カナダの”代表”として海外に出張し、美女とツーショットにおさまったり、世界的に有名なあのキャラクターと握手を交わしたりしている。彼がもはやケベコワだけの人気者ではないのは明白だ。

大西洋を渡ってやって来たヨーロッパ人は、自分ではビーバーを捕らえることができないため、先住民と仲良くしなければならなかった。いや、そもそも、ビーバーを手に入れることはおろか、先住民の知恵を借りなければ極寒の冬を越すこともできなかっただろう。
だから
仲良くなるためにカリブーの血を飲んだり、先住民の女性と結婚したりもした。

もちろん、カナダの歴史において何も起きなかったと言っているわけではない。先住民が土地を奪われたり、メイティの蜂起といった事件も起きているし、今でも難しい問題が山積しているのは間違いない事実だ。ただ、カナダという国はいろいろな失敗をしながらも、常に協力や譲歩、歩み寄りを目指してきたのは事実だと思う。

カナダの首都、オタワの国会議事堂パーラメント・ヒルを覗いてみよう。ここにはある先住民の胸像が置かれている。彼の名前はジェームズ・グラッドストーン。1958年に先住民として初めて上院議員に指名された人物だ。日本の国会議事堂にこうした意図を持った像が設置されることなんて、想像すらできないはずだ。
こんなちょっとした光景から、カナダが歴史にどう向き合っているのかを垣間見ることができると僕は思うのだ。

もう1つ、面白い例ををご紹介したい。みなさんは「オバマ・クッキー」を知っているだろうか。かつてアメリカのオバマ大統領がカナダを訪問した際、オワタ市内で食べたクッキーが、大統領の名前で今も愛されている。でも、カナダが「イギリス領ケベック植民地」だったころ、アメリカ合衆国との戦争を経験しているのだ。

冬になると全面が凍りつき、世界一長いスケートリンクになるオタワのリドー運河は、セントローセンス川がアメリカによって押さえられた時のための物資輸送路として建設されたものだ。
当時、バイタウンと呼ばれたオタワとキングストンを結ぶ全長202キロの運河が完成したのは1832年のことだ。

ケベック市内では、古い住居の裏に避難用の階段が取り付けられた建物を見ることができる。アメリカがセントローレンス川から攻撃を仕掛けてきた時に、すぐに逃げるための階段だと聞いた。
だからケベックでは、セントローレンス川に向かって今も大砲がずらりと並んでいる。もちろん、歴史を知り、歴史を振り返るだけが目的の”大砲”だけれど。
超大国・アメリカと隣り合っていてもうまくやっていけるし、オバマ大統領が食べたというだけでオバマ・クッキーなんて呼んで喜んじゃうあたりは、カナダってなかなかやるよね、と関心させられてしまう。

もしカナダを旅する機会があったら、少しだけこの国の歴史にも目を向けてほしい。いたるところでビーバーのデザインに出くわすのはなぜなのか。お土産にメープル・シロップを買ったら、メープル・タフィやシュガーリングオフ・パーティーのことも思い出してほしい。
カナディアン・ロッキーの観光拠点バンフが誕生した経緯や、世界第3位の航空機メーカー、ボンバルディア社がスノーモービルを製造している理由、そして西部のプレーリー地帯にはなぜ変わった形の教会が多いのか、などなど。
カナダには、カナダという国を作り上げてきた人たちが織り成す、人間臭い歴史の「謎」が満ち溢れているのだ。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアター https://www.canada.jp/ に掲載したものを加筆・修正しています。

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しあわせ写真

ビーバーの毛皮

カナダの歴史はビーバーの毛皮から始まった。毛皮はなめされ、引っ張って丸い形に整えられ、フランスへ、イギリスへと運ばれた。ビーバーにとっては大変な災難だったけれど、ビーバーを求めて人が極北の大地を移動し続けたことで今のカナダができあがったと言っていい。