旅の物語

カナダB級グルメの旅

第4回 カナディアン・セラピー

カナダ全土

2014年夏のある日、多くのカナダ人にとってショッキングなニュースがメディアによって伝えられた。それは同時に、多少なりともカナダに関わっている僕のような人間にとっても衝撃的なニュースだった。カナダ最大のドーナツチェーン店「Tim Hortons(ティム・ホートンズ)」がアメリカの「バーガー・キング」に買収されたというのだ。

僕は一報を聞いた後、新聞各紙を丁寧に読み、正確な情報の把握に努めていた。記事はおしなべてこの買収劇の持つ意味をこんなふうに報じていた。いわく、バーガー・キングが世界第3位のファストフードチェーンにのし上がる、いわく、法人税率が低いカナダに本社を移すことで税負担の軽減を狙っているー。

しかし肝心なのはそんなことではない。世界のファストフード業界の勢力図などどうでもいい。多くのカナダ人にとって大切なことは、この買収によってティム・ホートンズがどうなってしまうのかという点に尽きる。つまり心配しているのは、コーヒーやドーナツの味が変わったり、大幅な値上げが行われたりしないかということだ。しかし、どの日本メディアもティム・ホートンズの「今後」については何ひとつ情報を提供していなかった。そりゃそうだろうとは思うが。

そのことで僕は多少イラついていたし、さらに僕をイラつかせたのは、この時、僕と思いを共有してくれる人が近くには誰もいなかったということだ。いや、そもそも探しても無駄だ、分かるはずがない。周囲を見渡したところで、日本国内にカナダ人にとってのティム・ホートンズの重要性が分かる人などそうそういるはずがない。いや、僕自身だって、彼らがティム・ホートンズを大好きなのは知ってはいるものの、では、どうしてそんなに重要なのかとなると実はさっぱり分からない。というよりも、まったく理解できない。

別にコーヒーやドーナツの味がどうこうで「理解できない」と言っているわけではない。ただ、コーヒーもドーナツもいろいろな店があり、いわば「ドングリの背比べ」、どれも大して変わらないのではないかと思っているだけだ。しかしカナダではどうもそうじゃない。とにかくまずは、ティム・ホートンズなのだ。なにしろカナダ国内に3000店以上あり、カフェとしての国内シェアは60%超。とにかくカナダ中、どこに行ってもティム・ホートンズがあって、朝からドライブスルーは大行列。もうティム・ホートンズがなければ夜も明けないという感じなのだ。

さて、ここまで書いてきても、やはり大抵の日本人にはピンとこない話だろう。そこで日本のカナダ観光局に、カナダ人関係者を対象としたアンケートをお願いしたので、それを紹介してみたい。「プティーン編」でプティーンへの愛を語ってくれたナイアガラ・ヘリコプターのアナ・ピアースさんに再び登場いただく。

「カナダ人なら分かると思うけど、2週間も海外に行って帰ってくると、入国審査と税関に走って、人ごみをかき分けてベルトコンベアから荷物を受け取って、駐車場の仕切りを壊さんばかりの勢いで空港から出ると、まず『一番近いTimmiesはどこだ?』って探すわよね」。

ちなみに「ティミーズ」(Timmies)とか「ティムズ」 (Tim’s)というのは、カナダ人が使うティム・ホートンズの愛称だ。続いて、アルバータ州観光公社のダーリーン・フェドローシェンさんという女性の証言だ。

「大好き!ティム・ホートンズは家族や親友みたいな存在。お気に入りのメニューは『ダブル・ダブル』と『メープル・ドーナツ』。ありきたりに聞こえると思うけど、他にはない『カナディアン・セラピー』的な存在だわ」。「ダブル・ダブル」というのはコーヒーに砂糖2とクリーム2を入れる飲み方で、これについてはおいおい説明したい。ここでのポイントは「カナディアン・セラピー」という言葉だ。つまり、多くのカナダ人がティム・ホートンズによって元気になったり、癒されたりするということのなのだ。

例えば、2001年の米同時多発テロを受けたアフガニスタン侵攻の際、最前線のカンダハル空軍基地内には、カナダ軍兵士たちのためにティム・ホートンズが開設された。ここまでくるともう、紛れもない「カナディアン・セラピー」と言っていい。これに匹敵する「ジャパニーズ・セラピー」なんてあるだろうか。

 

まあ、今回のバーガー・キングの買収による影響は、コーヒーがほんの少し値上がりした程度で、カナダ国内に特段の混乱も起きなかったらしい。しかし、「カナディアン・セラピー」である「ティム・ホートンズ」にもし万が一のことがあったら、カナダ国民のモチベーションは一瞬にして失われるかもしれない。それこそ、カナダにとって最大の「国難」だろう。
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シリーズ「カナダB級グルメの旅」は2014~15年の取材に基いています。

しあわせ写真

ティム・ホートンズの看板

カナダ国内を自動車で移動していると、必ず出会うことができるティム・ホートンズの看板。食事をとれていない時、パソコンでメールをチェックしたいとき、とにかく困った時にティム・ホートンズは現れてくれるのだ。