旅の物語

メープルシロップ ワンダーランド

第16回 キツツキの小屋

カナダ・ケベック州

この連載「メープルシロップ ワンダーランド」にたびたび登場するケベック州イースタンタウンシップスのシュガーシャック「ピック・ボア」。主人のアンドレさんは1813年にドイツからカナダに渡ってきた移民の家系で、おじいさんもお父さんもメープルシロップ農家を営んでいたそうだ。

実家を離れて家具を作る仕事に就いていたアンドレさんはある時、どの店でメープルシロップを購入しても、子供の頃から慣れ親しんできた味とは何かが違うと気付いたという。
お父さんが亡くなり、放置されていた砂糖カエデの森に戻ったアンドレさんは、家具づくりの経験から自らのシュガーシャックを「キツツキ=ピック・ボア(Pic Bois)」と名付け、昔ながらの製法によるメープルシロップづくりを始めたのだそうだ。

昔と今とでは、メープルシロップづくりの何が違うのだろうか。
砂糖カエデの樹液にはたった2~3%しか糖分が含まれていない。これを結晶化する手前の糖度約66%まで煮詰めるとメープルシロップになる。しかし近年では、多くの農家が「OSMOSE」という逆浸透装置を使い、まず70%ほど水分を飛ばしてから樹液を煮詰めているという。

この装置を使えば短時間で効率的に、かつ低コストでメープルシロップを作ることができるのだが、アンドレさんはこの最新マシーンには懐疑的だ。
「短い時間でメープルシロップを作ることによって、本来の味や風味が失われてしまう。長い時間煮詰めることによって、初めてキャラメルのような風味や熟成された味が出てくるんだ。ほら、コトコトと煮詰めたシチューやスープと同じだよ」

 

もちろん、「OSMOSE」を使ったメープルシロップづくりに法律やルールなどで問題があるわけではない。オフィシャルに認められている製造方法だ。
それでもアンドレさんは、「自分は完璧主義者だから、本来の味や風味のないメープルシロップには満足できないんだ」と言う。

多くの農家がチューブを使って樹液を集めたあと、「OSMOSE」で水分を除去し、ガスの炎で煮詰めるのに対し、アンドレさんは、幹にぶら下げたバケツで1本1本の木々から樹液を集め、薪の炎で煮詰めるという伝統的な手法を守り続けている。
薪を使うことにより、メープルシロップにスモーキーな風味が加わるのだそうだ。砂糖カエデの幹から最初に出始めたころの樹液でつくる、軽くてサラサラしたメープルシロップは「エキストラライト」と呼ばれている。


樹液を採取する時期があとになるにつれて気温が高くなっていき、それにつれてメープルシロップの味や色も濃くなり、呼び名は「ライト」「ミディアム」「アンバー」「ダーク」と変わっていく。
このうち「エキストラライト」と「ライト」、そして「ミディアム」が「カナダNO.1」という最上級のグレードだ。

アンドレさんの「エキストラライト」は、軽さの一方で他にはない味の深みがある。それを一度味わってしまうと普通の「エキストラライト」がなんだか軽すぎるようにも感じてしまう。
「もう20年も『OSMOSE』が使われているから、今のカナダの若い人たちは本当のエキストラライトを味わったことがないと思う。ほとんどの人が味の違いが分からなくなっていることを自分は心配しているんだ」

僕は取材を通じて、結構メープルシロップについて分かった気になっていたけれど、その僕が味わっていたものはアンドレさんに言わせると、心配でならないメ味のープルシロップということになってしまう。
僕はこの連載の最初のころ、メープルシロップを買う時はラベルを見て「100%」とか「PURE」とか書いてあるかを確認した方がいい、などと書いていた。でも、浅はかだった。
メープルシロップは僕なんかが考えるよりも、もっともっと奥深いもののようだ。

この記事は2014年ごろの取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを一部、加筆・修正しています。その後、メープルシロップの等級および呼び方は変更されています。

⇒〔続きを読む〕第17回 永遠のワンダーランド(完)

 

しあわせ写真

アンドレさんの絶品エクストラライト

こだわりのメープルシロップ職人、アンドレさんが生み出す最上級エキストラライト。いつかまた買いにピック・ボアを訪れたい。