旅の物語

メープルシロップ ワンダーランド

第17回 永遠のワンダーランド(完)

カナダ・ケベック州

シュガーシャック「ピック・ボア」のアンドレさんは、実は極上のメープルビネガーを作る人としても知られている。メープルシロップを使った料理のコンテストで、優勝者は毎年決まってアンドレさんのメープルビネガーを使っているそうだ。

「ふつうのメープルビネガーは酸味が強いものが多いけれど、自分は酸味がありながらメープルシロップの甘さも残し、引き立て、さらに森の香りや木の香りがするメープルビネガーを作りたかったんだ」
確かに、この極上のメープルビネガーを口に含むと、つんとくるような酸味はまったくない。口の中に含むとまろやかな甘みと爽やかな酸味がいっしょに広がってくるのだ。

アンドレさんは、サラダにかけるのはもちろん、ベリー類などのフルーツにかけてもいいし、ポークやダック、エビなどのシーフードにもぴったり合うと言っていた。きっといろいろな日本の食材にも合うはずだ。
アンドレさんのメープルビネガーの製法は、ドイツから渡ってきた両親のもと、カナダで生まれたおばあちゃんが書き残したレシピをベースにしながら、アンドレさん自身が作り上げたオリジナルだという。

市場に出回っている一般的なメープルビネガーは、砂糖カエデの樹液を発酵させたものだけで作っているのに対し、アンドレさんのビネガーは、さらにメープルシロップを発酵させたものも使う。
シロップの発酵過程をいつストップさせてちょうどいい甘さを残すか、そのタイミングが「企業秘密」なんだそうだ。

「シロップを発酵させるこのやり方はオンリー・ワンのものだし、2年間トライ&エラーを繰り返してたどりついた味だ。ほかの人にはなかなか真似ができないはずだ」
シロップづくり、ビネガーづくり、どれをとってもアンドレさんのこだわりはまさに職人気質。そして、どれをとっても素晴らしく美味しかった。
僕には「OSMOSE」という装置を使い、水分を飛ばしてからメープルシロップを作る現代的な製造方法の是非を論じる能力はない。ビジネスだから利益も大事だし、何をもって「是非」を判断するのかも難しい話だ。

一方で、日本に輸入されているカナダのメープルシロップは、さまざまな農家が組合に納入したシロップをグレードごとに混ぜ合わせたものが主流だ。当然、製造過程では「OSMOSE」が使用されているのだろう。
それでもそれは、立派な「100%」で「PURE」なメープルシロップだ。
しかしアンドレさんの話を聞き、極上のメープルシロップやメープルビネガーを味わっていると、昔ながらの製造方法や味が消え去ってしまうことだけはあってはならないと思う。

それはうま味調味料によって和食本来の「だし」が廃れてしまうようなことと同じだと思う。
僕の頭には再びあの映画、ミッテラン仏大統領のプライベートシェフを務めた女性料理人の言葉が浮かんできた。
「おばあちゃんの味があればいい」
アンドレさんが見つけ出したメープルビネガーは、忘れられていたおばあちゃんのレシピを元にしていた。アンドレさんの奥さんが作る「ピック・ボア」の料理はハムにソーセージ、ポテトに豆と、本当に素朴で伝統的なものばかり。「おばあちゃん」の代から伝えられてきた味だと思う。

「メープルシロップ ワンダーランド」の連載を終えるにあたり、僕はメープルシロップをもっと日本で普及させたいとカナダに渡り、ケベックのシャルルボアで活躍するフレンチのシェフ、ハンク鈴木さんのことを思い出していた。鈴木さんはこう言っておられた。
「日本酒だって同じようにお米と水から作っていても、作られた地域の気候や水によって全然、違う味になるでしょう。ましてやメープルシロップは違う場所の違う水を吸った、違う砂糖カエデの樹液で作っているんだから、それはもう数え切れないぐらいの味がありますよ」

北の大地で生きる人々に、何百年にも渡って甘さという幸せを与え続け、カナダの人たちに愛され続けているメープルシロップ。
「OSMOSE」を使っても伝統的な製造方法で作っても、「100%」で「PURE」なメープルシロップであることに間違いはない。そして土地によって、水によって、砂糖カエデの木によって、数えきれないほどのメープルシロップの味が生まれるという。
僕はとんでもない「ワンダーランド」に迷い込んでしまったらしい。メープルシロップの奥深さは、僕がここから抜け出すことを許してくれそうもない。

この記事は2014年ごろの取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを一部、加筆・修正しています。

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しあわせ写真

アンドレさんのメープルビネガー

シュガーシャック「ピック・ボア」の主人、アンドレさんが、砂糖カエデの樹液から生み出すもう1つの味がメープルビネガー。ケベックの料理人たちが愛してやまない味なのだ。