旅の物語

永遠のカヌー

第9回 キャンプの朝

オンタリオ州・アルゴンキン州立公園

トム・トムソン・レイクのほとりで焚き火をし、夕食をとり、テントで眠り、朝を迎えた。テントから這い出して外の景色に目をやる。湖面がまるで鏡のようだ。

以前、紅葉のケベックで朝の湖を見た時にも同じような体験をした。早朝の湖はどうしてこんなに穏やかで、波ひとつないのだろうか。真っ平らな湖面を、カヌーがまるで浮力を得たかのように、飛ぶように、すべるように、音もなく進んでいく。

鏡のような湖面は、カヌーが生み出す小さな水の動きなどあっという間に飲み込んでしまい、あとは何事もなかったかのような静謐さを保っている。カヌーの船体と漕ぎ手の男女、そして真ん中にちょこんと座っている愛犬までがしっかり鏡の世界の住人になっている。朝霧がまだ少しだけ湖の上を漂うその中に、上下対称の不思議な世界が広がり続ける。

 

太陽が昇り、気温が上がってきたようだ。少し風が吹き、湖面にも波が立ち始める。すると上下の対称は崩れだし、鏡の中にいたカヌーと人の姿がユラユラと揺らめいてきた。これがカヌーのキャンプの朝なのだ。そして早朝から動き出したキャンパーたちのカヌーが、目の前を次々と通り過ぎていく。こんなに早く切り上げて、一体どこへ行くんだろう。

ビーバーの毛皮を満載した巨大なバーチ・バーク・カヌーなら、まさに急ぐ旅だったろう。雇われ人の漕ぎ手たちは叩き起こされて、食事もそこそこに出発していったに違いない。ああ、ルーン(Loon)が泳いでいる。ルーンはオンタリオ州の州鳥であり、カナダの国鳥でもある。潜水して小魚を食べる鳥だ。水がきれいなところで繁殖するので、環境を測るバロメーターとも言われている。

そのルーンはカナダの1ドル硬貨のデザインに採用されている。だからこの硬貨をカナダ人は「ルーニー(loonie)」と呼ぶ。そこから派生して、なぜかホッキョクグマのデザインの2ドル硬貨は「トゥーニー(toonie)」と呼ばれている。ルーンは太陽の暖かさに包まれて元気に泳ぎまわっているのだが、僕の方はと言えば同じ太陽に照らされながらも、ようやくノソノソと水際に降り、顔を洗い始めたところだ。

髪の毛はきっとボサボサなのだろうけど、自分ではよく分からない。手を塗らして髪をなでつけた後は、帽子をかぶって、それでおしまいだ。そして腹ごしらえだ。とは言っても、僕はガイドさんが作ってくれる朝食を食べるだけなのだが。朝食のおかずはベーコンや玉ねぎを炒めて、たっぷりの卵でとじたオムレツで、結構なボリュームだ。満腹になって、いよいよキャンプ2日目に突入する。

きょうのメインイベントは何といっても「Portage(ポーテージ)」だ。水が途切れたらカヌーを担ぎ、次に水があるところまで荷物とカヌーを運ぶことをポーテージという。ポーテージこそカナダのカヌーの代名詞なのだ。カナダほど川や湖がない国でのポーテージは、急流で行く手を遮られた時、カヌーを続けるために仕方なく陸地を移動することだろう。しかしカナダではポーテージそのものがカヌーの楽しみ方なのだ。カナダでのカヌーは、漕ぐものであり、かつぐものだ。そして僕はきょう、ついに初めてポーテージを体験するのだ。
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シリーズ「永遠のカヌー」は2015年の取材に基いています。

 

しあわせ写真

トム・トムソン・レイクで迎えた朝

トム・トムソン・レイクの湖畔でキャンプをし、翌朝、僕が見た印象的な光景。鏡のような湖面にカヌーに乗った人と、まんなかの犬がきれいに湖面に映りこんでいた。なんと綺麗で不思議な光景なのだろう。