旅の物語

カナディアン・ロッキーを越えて

第4回 クリスマス・オレンジ

ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州

ロッキーマウンテニア号は、カナディアン・ロッキーに源流を持つ全長約1400キロのフレーザー川と並行するようにして進んでいく。

この川はベニザケの遡上で知られていて、毎年数えきれないほどのベニザケが河口に押し寄せる。ベニザケの数は多い年で数千万匹とも言われている。だからこそヘルズ・ゲートには遡上を助けるための「魚道」が設けられたのだ。
ベニザケはまず、サーモンアーム市のスシュワップ湖を目指す。この湖で準備を整えたあと、産卵に適した支流へと泳いでいくのだ。

今朝、バンクーバーを出発したロッキーマウンテニア号が乗客の宿泊のために停車するのが、フレーザー川の河口からおよそ400キロ離れたカムループスという街だ。
スシュワップ湖はさらにその100キロ先、河口から実に500キロも遡ったところにある。ベニザケが目指すのはさらにその先なのだから、生まれ故郷を目指す彼らの旅の長さが分かろうというものだ。

産卵の準備が整ったことを示す真っ赤な体をしたニベザケは、飲まず食わずで遡上するためその身はすっかり細ってしまっている。しかしフレーザー川の河口に押し寄せてきたころの、まだ体が赤くない元気いっぱいのベニザケなら話は別。一番脂がのっている時だ。
当時、河口に位置する漁港スティーブストンでは、ベニザケ漁が盛んに行われていて、周囲にはサーモンの缶詰工場が立ち並んでいた。そんなベニザケ漁に惹かれ、日本からもたくさんの人が出稼ぎにスティーブストンへとやって来た。ただし、なぜか和歌山県民がやけに多かった。

カナダ太平洋鉄道(CPR)の機関車「engine374」のバンクーバー到着と同じ1887年、CPRは「香港‐横浜‐バンクーバー」の定期航路の運航を始めている。だから赤ん坊を背負った日本人女性と子供を描いたこんなポスターも制作している。
この定期航路を利用したのだろう、翌88年に和歌山県日高郡三尾村(みおむら、現・美浜町)の工野儀兵衛という人物が単身バンクーバーにやって来る。
儀兵衛氏はまず、市内の製材所で働く日本人が暮らすパウエル街に身を寄せ、そこで無数に押し寄せるというベニザケの話を耳にする。

河口を埋め尽くすベニザケを見た儀兵衛氏は、故郷の人にこう伝えた。
「フレーザー川にサケが湧く」
儀兵衛氏を追うように三尾村の人々が太平洋を渡った。最初は必ずしもカナダへの移民ではなく、ベニザケ漁の繁忙期に限っての出稼ぎも多かったようだ。それでもスティーブストンは三尾村、そして和歌山県出身者が多く住む日本人漁師町の様相を呈していった。
三尾村はと言うと、稼いだ金を手にカナダから戻った人たちが洋風の家を建てたことから「アメリカ村」と呼ばれるようになった。もちろんスティーブストンはアメリカではなくカナダなのだが。

三尾村の人たちが利用したであろう「香港‐横浜‐バンクーバー」の定期航路には、中国からもたくさんの人が乗っていた。彼らがつくったバンクーバーのチャイナタウンは今、市内の観光スポットの1つだ。
また、太平洋を渡る前に横浜で船を降りた中国人も多くいたようで、彼らが横浜の中華街の発展に一役買ったとも言われている。
まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話なのだが、もう1つ、「風が吹けば」的な話をしておきたい。

カナダではクリスマスイブに、靴下の中にプレゼントとともに温州みかんを入れる「クリスマス・オレンジ」という風習がある。紀州・和歌山からスティーブストンにやってきた人たちが、地元の温州みかんを持ち込んだことがきっかけでカナダ国内に広まったと言われている。
柑橘類が育たず、冬はフルーツを手に入れにくかったカナダの人たちに、甘い温州みかんは大歓迎されたはずだ。
そして今、日本の温州みかんの輸出のうち、カナダ向けが全体の80パーセントを占めている。そのきっかけをつくったのがフレーザー川のベニザケだったのなら、まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」だ。

太平洋からフレーザー川へと「移動」してきたベニザケが、和歌山県の人たちをスティーブストンへと「移動」させ、中国から「移動」してきた人が横浜やバンクーバーでチャイナタウン=中華街をつくり、日本から持ち込まれた温州みかんがCPRの貨物列車でカナダ各地へと「移動」していく。
人やモノが「移動」することで、たくさんの不思議なストーリーが生み出されている。
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※シリーズ「カナディアン・ロッキーを越えて」は2015年の取材に基いています。また一部でロッキーマウンテニアから提供を受けた写真を使用しています。

しあわせ写真

フレーザー川を遡上するベニザケ

フレーザー川の支流で生まれ、太平洋に降りて大きく育ち、産卵のため故郷の川に遡上してくるベニザケ。体を真っ赤に染めた無数をベニザケをいつか見に行きたい。これは僕の念願なのだ。