旅の物語

メープルシロップ ワンダーランド

第15回 シロップの中のおじいちゃん

カナダ・ケベック州

「大統領の料理人」という映画をご存知だろうか。1980年代、フランスのエリゼ宮(大統領官邸)で、女性として初めて大統領のプライベートシェフとなった料理人の物語だ。彼女がミッテラン大統領のためにつくる料理は華美な装飾を排し、素材を生かした伝統的な「田舎料理」だった。周囲の反発やとまどいをよそに、大統領を喜ばせたい一心で奮闘する彼女は、こんなセリフを口にする。「おばあちゃんの味があればいい」ー。


日本で言えば「おふくろの味」ということになると思う。料理の本質を言い表した、いい言葉だと思う。そしてもう1つ、彼女が発した中で気になった言葉がある。「尼さんのおなら(ペ・ド・ノンヌ)」がそれだ。
フランスには、シュー生地を油で揚げてグラニュー糖などをまぶした、こんな変わった名前のスイーツがあるそうだ。


尼さんが料理中におならをした拍子にシュー生地を油の中に落としてしまったところ、偶然にも美味しいスイーツができあがったというのだけれど、にわかには信じ難い話だ。
で、映画の話から始まって何が言いたいかと言うと、フランス人のお菓子に対するネーミング感覚だ。
なにしろ、フランス系の人が多く暮らすケベックでは、シナモンロールが「修道女のおなら(ペ・ド・スール)」と呼ばれているという話も耳にした。本当だろうか。

さて、だいぶ前置きが長くなってしまったけれど、ケベックには「シロップの中のおじいちゃん」というポピュラーで、これまた変わった名前のスイーツがある。
僕は、東京・青梅市に住むケベック出身のマリーさんのお宅で1回、そしてケベック州・イースタンタウンシップスのシュガーシャック「ピック・ボア」でもう1回、このスイーツに接することができた。
鍋で温めたメープルシロップの中に生地を入れてグツグツと煮込むスイーツなのだが、マリーさんのつくる「おじいちゃん」は、日本人向けにメープルシロップ1に対して水1の割合で薄めてあった。

一方のケベック「ピック・ボア」の薄め方は2:1ぐらいだったと記憶している。本場ではまったく薄めていないメープルシロップで「おじいちゃん」をつくる場合もあるそうだ。
それはたぶん、強烈な甘さだと思う。なにしろじっくり煮込んでいるから生地の中にメープルシロップがこれでもかという感じで染み込んでいる。ケベックの寒い冬に体を温めるにはぴったりのスイーツであることは間違いないのだけれど。


マリーさんがつくる「おじいちゃん」はミントが乗っていたり、イチゴなどが添えられていて、その酸味がメープルシロップの甘さとほどよいバランスになっている。日本人にはこのぐらいの甘さがちょうどいいと思う。ただし、カナダを旅した時にはもっと甘い本場の「おじいちゃん」もぜひ体験してほしい。


僕は「ピック・ボア」で、地元のみなさんが食べるのと同じ甘さの「おじいちゃん」を食べてみた。
このガツンとくる甘み。またカナダに来たなあ、またケベックに来たなあ、と実感できる味だ。それにしてもだ、どうして「シロップの中のおじいちゃん」という不思議なネーミングになったんだろうか。

 

メープルシロップの中でグツグツと煮られた生地のシワシワな感じがおじいちゃんみたいだからとか、シワシワ、フニャフニャな感じがおじいちゃんでも食べられそうだからとか、あるいは簡単な料理なので鍋をかき混ぜてて、とおじいちゃんに頼めるからとか、いろいろ説があるようだ。しかし、いくら調べてもはっきりした理由は分からないんだろうなあ、と僕は思う。
まあ、おじいちゃんがシロップにつかっちゃたり、尼さんや修道女がおならをしたりと、なんだかフランス系のスイーツは大変なことになっているけれど、間違いなく言えることがある。名前はともかく、ケベックのスイーツはとにかく美味しいのだ。

この記事は2014年ごろの取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを一部、加筆・修正しています。

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しあわせ写真

シロップの中のおじいちゃん

少し薄めたメープルシロップでグツグツと煮られた甘い甘いスイーツ。それが「シロップの中のおじいちゃん」だ。