旅の物語

メープルシロップ ワンダーランド

第1回 メープルの国、メープルの子

カナダ・ケベック州

昭和のはじめに来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトは、京都の桂離宮を見て「泣きたくなるほど美しい」と言ったそうだ。人工の建造物と大自然の違いはあるけれど、僕の目の前に広がるカナダ・ケベック州の紅葉もまた、涙が出るほど美しい。
波ひとつない湖に映り込んだ赤と黄色と緑の樹々。湖面が鏡のように穏やかで、じっと見ているうちに縦に見たらいいのか、横から見た方がいいのか、何だか不思議な気分になってくる。

波ひとつない早朝の湖面に映りこんだ砂糖カエデの林素晴らしい色のコントラストを生み出しているのは、メープルシロップをもたらしてくれるシュガー・メープル(砂糖カエデ)をはじめとするカエデの木々だ。
砂糖カエデの原生林があるのは、世界でもカナダのケベック州とオンタリオ州、それにアメリカの一部だけ。
だからその樹液を煮詰めて作るメープルシロップは世界全体の90%がカナダで生産され、うち85%をケベック産が占めているのだ。

でも実はこれ、本当に不思議なことだと僕は思っている。考えてもみてほしい。カナダという国は、先住民が暮らす土地にヨーロッパ人がやって来たところから始まった。フランス人が最初に拠点として木造の砦を築いたのが今のケベック・シティ。その周囲にはなぜか世界でも限られたエリアにしかない砂糖カエデの樹々が生い茂り、樹液は極寒の冬を越すためのエネルギー源「砂糖」をもたらしてくれたなんて。

これは本当に単なる偶然なんだろうか。それとも、遠い未来のカナダの建国を願った神様からの贈り物だったのだろうか。
氷点下が当たり前のこの土地で、ヨーロッパからの入植者は冬を越す術を持たなかった。雪の上を移動する方法も、寒さから足を守る靴の作り方も、冬の間のエネルギー源の確保の仕方も。しかし彼らは、先住民から甘い樹液の存在を教えてもらうことによって、厳しい冬をなんとか生き抜くことができたのだ。


だから僕は、もし砂糖カエデがなかったら、メープルの甘さがなかったら、カナダという国が建国されるほどに人は集まらなかったんじゃないかとさえ思っている。
フランス人が築いた砦の周りにはなぜか砂糖カエデの原生林が広がっていて、先住民が親切にも樹液の甘さを教えてくれたー。

こんな偶然と幸運が重なって、1867年のカナダ建国へと続く、その第一歩が踏み出されたのだと思う。だから僕は、カナダはまぎれもなく「メープルの国」だと思っている。そして、カナダの人たちはこれでもか、というぐらいにメープルが大好きだ。日本人の目から見ると彼らの「メープル愛」は異常と言ってもいいぐらいだ。

でも僕には、メープルがなかったら生き抜けなかったというDNAが、カナダの人たちの「メープル愛」につながっているように思えてならない。だから僕は、メープルをこよなく愛するカナダの人たちを「メープルの子」だと思っている。
メープルの国・カナダが2017年、建国から150年という節目の年を迎える。だからこの機会に、みんなにメープルについてもっと深く、もっと広く知ってもらいたいと思っている。

実は僕は、何度もカナダを旅するうちに結構メープルについて詳しくなってしまった。その結果、今ではなぜかかなり多くの時間、メープルについて考えるようになってしまっている。
輸入食品の店ではメープルシロップのラベルを確認しては、「これはちょっと」とか、「なかなかいいのを置いてるなあ」とか、ブツブツつぶやいたりしている。いや、声には出さない、心の中でのことだ。不審者だと思われる。
「メープル味」とか「メープル風」などとうたったお菓子なんかを見た日には、厳しくラベルをチェックして、「こんなんでメープルを名乗っていいのか?」などと、ひとり憤慨していたりもする。

料理研究家でもないのにこれほど長時間、メープルのことを考え続けているのは、たぶん日本でも僕ひとりだけだと思う。それはまず間違いないという自負はあるけれど、万が一「自分だって同じだ」という方がおられたら申し訳ない。今度じっくりやりましょう。
とにかく僕が言いたいのは、メープルシロップがパンケーキにかけるだけの、ヨーグルトに混ぜるだけの、ただの甘いシロップだと思ったら大間違いだということだ。
これからみんなの目の前に現れるのは、「メープルの国」と「メープルの子」を生み出した甘いシロップの真実の数々。僕が招待する「メープルシロップ ワンダーランド」なのだ。

この記事は2014年ごろの取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを一部、加筆・修正しています。

⇒〔続きを読む〕第2回 メープルシロップは「さら、さら、さら」

 

しあわせ写真

ケベックの美しい紅葉

早朝のケベックで見かけた美しい光景。鏡のように静かな湖面に赤、黄色、緑がきれいに映りこんでいる。