旅の物語

カナディアン・ロッキーを越えて

第10回・完 温泉の王様

ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州

レイク・ルイーズを発ち、僕は旅の最終目的地、カナディアンロッキーの観光拠点バンフに到着した。バンフのランドマークと言えばもちろん、世界有数のリゾートホテル「バンフ・スプリングス」だ。

よく見ると建物のすぐ横に、ホテルをぐっと睨みつけている1人のオッサンの像がある。右手で鋭くホテルを指差し、「1人たりともサボることは許さん!」と怒鳴っているかのようだ。
このオッサンこそ、大陸横断鉄道を建設したカナダ太平洋鉄道(CPR)の社長を務め、「バンフ・スプリングス」の建設をも指揮したウィリアム・コーネリアス・ヴァンホーンだ。

ロッキー越えという前代未聞の難事業を成し遂げるため、「鉄路の皇帝」の異名を持つアメリカ人、ヴァンホーンはカナダに招へいされた。
総監督となったヴァンホーンの類いまれなる統率力と剛腕があったからこそ、大陸横断鉄道の建設が成し遂げられたと言ってもいい。もっとも、「剛腕」による成功の影には、無数の中国人労働者の犠牲などの事実もある。
それにしても、この「皇帝」の態度たるや実にでかい。ラスト・スパイクが打ち込まれた時、左後方で無表情に突っ立っている黒髭の人物がヴァンホーンだ。彼はこの時、40歳代前半にすぎないが、その迫力はまさに「皇帝」の名にふさわしい。

ラストスパイクが打ち込まれ、周囲からスピーチを求められたヴァンホーンが発した言葉はたった15の単語だったそうだ。
 ”All I can say is that the work has been well done in every way.”
「仕事はすべてうまくいった。言えるのはそれだけだ」といったところだろう。
レイク・ルイーズ駅にジェリーさんが設置したビジネス・カーの内部には、至るところに秘書を呼びつけるベルが取り付けられていた。
ラスト・スパイクから3年後、ヴァンホーンはCPRの第2代社長に就任している。徹夜でポーカーをしても、朝から平然と仕事をするようなバイタリティの固まりだったという。ビジネス・カーで東奔西走し、行く先々で部下の尻を叩き、ベルを鳴らしては秘書を怒鳴りつけていたのだろう。部下にとってはたまったものではない。バンフでのホテル建設を言い出したのもヴァンホーンだった。
 「この絶景を輸出できないのなら、観光客を輸入しなければならない」

ケベックシティでお城のようなホテル「シャトー・フロンテナック」を手掛けた建築家ブルース・プライスに設計を依頼。その図面に基づいて建設は進められたものの、方位が記されていなかったため現場責任者はホテルの向きを適当に決めて工事を進めてしまう。
遠く離れたモントリオールに住んでいたヴァンホーンは1887年、わざわざ建設現場にやって来ると、ホテルの向きが180度反対になっているのに気づいて激怒したそうだ。
「厨房の調理スタッフに100万ドルの景色を見せようとした責任者をここに連れてこい!」。このひと言で工事はやり直され、1888年、客室からもレストランからも美しい景色が見える「バンフ・スプリングス」が開業した。

もう1つ、「観光客を輸入する」という「皇帝」の判断のきっかけとなったのは「スプリングス」の名の通り、温泉の存在だった。
1883年、CPRの鉄道建設の作業員だった3人の男が一攫千金を夢見てこの周辺を歩き回ったところ、お目当ての金鉱ではなく、立ち上る湯気を発見したというのがことの発端だった。
男たちは商業的な権利を主張したものの政府が解決に乗り出し、最終的に私的占有権の主張がすべて却下された。
2年後の1887年、つまりCPRの蒸気機関車374号がバンクーバーに到着したのと同じ年に、バンフを中心としたカナダ初の国立公園「ロッキー山脈公園」(現・バンフ国立公園)が誕生した。

ヴァンホーンは、かつて訪問したヨーロッパで、温泉が健康促進や病気の治癒などに効果があるとされていたのを知り、温泉は大いに可能性あり、と考えたようだ。
それにしてもだ、その判断ひとつで世界中に知られる観光地カナディアンロッキーやその拠点のバンフ、あるいはレイク・ルイーズを生み出したのだから、「皇帝」の先見の明は恐ろしいの一語に尽きる。
絶景はたまたま、線路の近くにあったにすぎない。ロッキー山中には地名などなかった。鉄道が建設されるに従って地名が生まれていった。それが「絶景はたまたまあった」という何よりの証拠だ。

CPRの幹部がスコットランドの「バンフシャー」出身だったことから、「バンフ」という名前が生まれた。クレイゲラキーもスコットランドの大きな岩の名だし、レイク・ルイーズは王女の名前だ。
さて、バンフの温泉と言えばサルファー山麗の「アッパー・ホットスプリングス」が知られているが、3人の男たちが発見した温泉「ケイブ&ベイスン」の知名度はいま、さほど高くはないだろう。
 写真=Byron Harmon, Basin pool at Cave and Basin, n.d., (v263-na-3551), Whyte Museum of the Canadian Rockies

それもそのはず、「ケイブ&ベイスン」は既に、人が入る温泉ではなくなっている。なんと今は、ここのお湯でしか生息できない絶滅危惧種の「カタツムリ」が、歴史ある温泉を占有しているのだ。
トウモロコシの粒ほどの小さな「カタツムリ」が岩にへばりついている。懸命に撮影を試みたものの、なんだかよく分からない写真になってしまった。

この温泉を管理しているパークス・カナダの職員の方に、このカタツムリの大型模型を手にしていただいた。これが恐れ多い、節滅危惧種のカタツムリだ。
「皇帝」ヴァンホーンが観光客の呼び込みに期待をかけた温泉はいつしか、身近に温水プールができたり、ほかの健康法が多く登場したためにその魅力を失い、最後は小さなカタツムリに独占されることとなった。
なにしろカタツムリに悪影響が出ないよう、「ケイブ&ベイスン」ではわれわれがお湯に手を漬けることすら禁止されている。カタツムリたちはまるで「温泉の王様」のようなのだ。

カナディアン・ロッキーは、カナダを1つにまとめ上げようと“coast to coast”を目指す中で生み出された。おかげで今のカナダの姿があるし、世界一住みやすいと言われるバンクーバーも、太平洋から押し寄せる絶品サーモンもみんなカナダのものだ。
一方で、大陸横断鉄道の建設では数えきれない中国人が犠牲となった。生きる術を奪われたメイティの反乱が皮肉にも鉄道建設を後押しした。
ほんの少し悲しい歴史に目を向けるだけで、豪華列車の旅は「楽しい、おいしい、きれい」のその先にある、より一層、心豊かな旅になるはずだ。
ヴァンホーンはいまだにホテルを指さして恐い顔をしているが、彼のおかげでバンフがあり、カナディアン・ロッキーがあるのも事実だ。それに、今、ここで一番大切にされているのは「鉄路の皇帝」ではなく、「温泉の王様」カタツムリなのだ。
そう思えば、おっかないヴァンホーンの像もなんだか愉快なモニュメントのように思えてくるのだ。
⇒最初の記事 「第1回 coast-to-coast」を読む
※シリーズ「カナディアン・ロッキーを越えて」は2015年の取材に基いています。また一部でロッキーマウンテニアから提供を受けた写真を使用しています。

しあわせ写真

お城のようなホテル「バンフ・スプリングス」

カナディアン・ロッキー観光の拠点「バンフ・スプリングス」の建設を指揮したのは、「鉄路の皇帝」と言われたウィリアム・コーネリアス・ヴァンホーンだ。今もホテルの横に像となって、ホテルマンらを叱咤している。