旅の物語

ケベック謎解きの旅

第13回 インディアン・ハードシュガー

カナダ・ケベック州

メープル・シロップの「謎」を追い続ける僕が最後にやってきたのが、オタワ郊外にある「ウィーラーズ・パンケーキ・ハウス」だ。この砂糖小屋=シュガー・シャックでは文字通り、メープル・シロップたっぷりのパンケーキを楽しむことができる。
先住民は砂糖カエデの甘い樹液の存在を知っていた。でも、彼らが作っていたのはさらさらしたメープル・シロップではなかった。甘い樹液とメープル・シロップの間をつなぐ「ミッシング・リンク」とは何なのか。「ウィーラーズ・パンケーキ・ハウス」はその答えを僕に示してくれるだろうか。

出迎えてくれたバーノンさんは、このシュガーシャックを経営するかたわら、メープル・シロップの研究を続け、敷地内に膨大な資料を展示する「メープル博物館」を作ってしまった人物だ。ちなみにバーノンさんは「チェーンソー博物館」なるものも作っており、その「オタクぶり」がなかなかいい感じなのだ。

博物館を案内しながら、バーノンさんは僕にこう言った。
「先住民はサップ(樹液)を入れるにも、バーチ・バーク(白樺の樹皮)の入れ物ぐらいしか持っていなかった。だからサップを集め、焼いた石をどんどん入れて水分を飛ばし、メープル・シュガー、つまり砂糖として保存していたんだ」
そうか、先住民はシロップではなく砂糖を作っていたんだ。それは粉の砂糖だったのだろうか。
「石のように固い砂糖だ。『インディアン・ハードシュガー』と呼ばれている」

なるほど、くりぬいた丸太の中に樹液を満たし、焼いた石を投げ入れていくと最後に樹液は水分を失って固い砂糖のかたまりになる。
「先住民は、砂糖のかたまりをトマホークで砕いて使っていたんだ」
かたまりであれば持ち運びや保存に便利だし、その都度使う分だけ斧で砕けばいいのだ。博物館には先住民が砂糖のかたまりを入れておいたバーチ・バークのコンテナも展示されていた。

罠を使ってビーバーを捕らえる先住民のトラッパーはひと冬の間、ビーバーを追ってスノー・シューとバーチ・バーク・カヌーを駆使して移動を続ける。そんな時、バーチ・バークの容器に砂糖の塊を入れて携行し、氷点下での貴重なエネルギー源としたのかもしれない。

だとすると、先住民がヨーロッパ人に伝えたのはメープル・シロップそのものではなく、甘い樹液の存在と、固い砂糖の固まりだったということになる。樹液はどうやってさらさら流れるメープル・シロップになったのだろうか。
博物館の中をさらに進んでいくと、日本で言えばブリキということになるんだろうか、一斗缶のような金属容器がたくさん並んでいた。

「今のようなメープルシロップが作られるようになるのは、こうした金属の容器が登場してからだ。そうでないとシロップを保存しておくことができない。だからそれまではずっと、メープル・シュガーだったんだ」
そういうことなのか。「ミッシング・リンク」の答えは実に簡単だった、と言うよりも「ミッシング・リンク」なんてどこにもなかったのだ。なんだか頭を殴られたような気がした。ヨーロッパ人も先住民と同様、始めはは固い砂糖を作っていた。その理由は、さらさら流れるメープル・シロップを保存する容器がなかったから。たったそれだけのことだった。

「メープル・シュガーは大変貴重なものだった。砂糖を持った行商人が集落をめぐって売り歩いていたようだが、結構な稼ぎになったらしい。もっと後の時代にはいろいろなデザインの型で造ったメープル・シュガーも登場して、贈り物に使われたりしていたんだ」
最初のころはただのキューブ状の砂糖だったけれど、やがて聖書やハート、ビーバーなどの装飾的な「型」が生み出され、固い砂糖のかたまりは贈り物としても使われるようになっていく。

装飾的なメープルシュガーはスタンパーと呼ばれる専用の器具で砕かれ、お茶に入れられたりした。角砂糖のような使い方だ。
「先住民の間でも、なまけものの部族は自分でメープルシュガーを作らずに他の部族のところに盗みに来たりして、その結果、部族間の戦争になったこともあるようだ」
ヨーロッパ人にとっても先住民にとっても、樹液から作る砂糖の甘さは本当に貴重なものだったのだろう。
しかし、僕の中には小さなひっかかりが残っていた。鉄の鍋を持っているヨーロッパ人は、先住民と違って樹液を煮詰める途中、今のメープル・シロップのようなさらさらした状態を目の当たりにしていたのではないだろうか。

バーノンさんに視線を向けると、こんな答えが返ってきた。
「まだメープルシュガーを作っていた300年から400年前、既に『タフィ・パーティー』が行われていた。ものすごく寒くて長い冬が終わった後に初めて収穫されるのがメープル・サップ。春の到来を祝うタフィ・パーティーが行われていて、それが今のシュガーリングオフ・パーティーにつながっていくんだ」

シュガーリングオフ・パーティーとは、春に今年初のメープルの樹液が収穫され、シロップづくりが始まるころにシュガー・シャックで開かれるパーティーのことだ。豚肉や豆、卵、メープルたっぷりのスイーツなど、素朴な料理をみんなで楽しむ。その原型がタフィ・パーティーなのだ。確かにシュガーリングオフ・パーティーにメープル・タフィは欠かせない。
まだ森に雪が残るころ、甘い樹液の収穫が始まり、それは鉄の鍋で煮詰められていく。きっとその作業は氷点下の冬を乗り切り、甘い樹液に再び出会えた喜びに満ちていたことだろう。

誰かが、固い砂糖になる前の、まだ鍋の中でグツグツいっている熱くて甘い液体を「待ちきれない!」とばかりにすくいとって周囲の雪の上にたらす。その辺にある小枝ですばやく巻き取って今年初の「甘さ」を楽しむ。その味は春の訪れを感じさせてくれたことだろう。それがタフィ・パーティーとなり、やがてシュガーリングオフ・パーティーとなっていった。
これは僕の勝手な想像だけど、ブリキの容器が登場した時、ヨーロッパ人は嬉々としてシロップを作るようになっていったのではないだろうか。この容器で保存すれば一年中、固い砂糖ではなくあのメープル・タフィのような甘さを楽しむことができる。だってメープル・シュガーよりもメープル・シロップの方が美味しいと、誰だって思うだろうから。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアター https://www.canada.jp/ に掲載したものを加筆・修正しています。

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しあわせ写真

メープル・タフィ

今年初の樹液の収穫を祝い、みんなでその甘さを楽しむ。メープル・タフィは春の訪れを告げる味だったに違いない。