旅の物語

アルバータの物語

第8回 「Bar U Ranch」の円卓

アルバータ州カルガリー

「アルバータの物語」の前編とも言うべきカウボーイにまつわる話を終える前に紹介しておきたいのが、かつての大牧場「Bar U Ranch」(バー・ユー・ランチ)だ。

カルガリーのダウンタウンから南へ約100キロ。通称カウボーイ・トレイルと呼ばれる州道沿いにある。1881年から1950年までの約70年間にわたり、ここで実際に大規模な牧場経営が行われていた。現在は政府機関である「パークスカナダ」が、アルバータ州南部での牧場経営や開拓の歴史を伝える史跡として管理している。

「Bar U Ranch」の東には、カナディアンロッキーの峰々が連なっている。馬にまたがったカウボーイの像が追いかけているのは狼だろう。アメリカのイエローストーン国立公園で野生の狼の絶滅により生態系が崩れてしまったため、アルバータ州から狼を輸送して公園内に放ったという話を聞いたことがある。開拓時代、このあたりにはそれこそたくさんの狼がいて、いつも牛を狙っていたのかもしれない。

「Bar U Ranch」の中では、こんなふうに馬車が通り過ぎていくし、1900年代初頭のオリジナルの建物が当たり前のように残っていたりもする。この建物は牧場の経理担当者の住居兼仕事場で、その後は郵便局としても使われたという。

このあたりには郵便局がなかったため、「Bar U Ranch」内の郵便局が周辺のコミュニティの郵便局として機能したようだ。馬具の修理を行っていた建物の中には、当時の鞍(くら)があった。

今まで間近に見たことはなかったけれど、よく見ると革に細かいデザインが施されていてなかなか芸術的だ。カウボーイになった若者がまず最初に欲しがるのが自分の鞍なんだそうだ。自前の鞍に好みのデザインを入れて、ようやくカウボーイとしての第一歩を踏み出す、ということなのかもしれない。

鞍などの馬具を修理するのに使う、足踏み式のミシンもある。分厚い革を縫い合わせるだけあって、なかなかゴツくて無骨な雰囲気を漂わせている。

「Bar U Ranch」は、最盛期で100人以上のカウボーイがいたそうだ。彼らが生活していた建物の1階は食堂やキッチン、共同のトイレ、それにあとから増築されたというシャワールームも備えられている。2階はカウボーイたちの居住スペースだ。といっても、プライベートも何もあったもんじゃない、それぞれのベッドが並んでいるだけだ。

大地を移動していたカウボーイ以外にも、この牧場の柵の中にやってきた人たちがいる。大陸横断鉄道の建設に従事していた中国人たちだ。「Bar U Ranch」がオープンした1881年から2年後の1883年、大西洋側から延びてきたカナダ太平洋鉄道の線路がカルガリーまで達した。そして1887年、鉄路はついにバンクーバーにまでつながり、大陸横断鉄道は完成の時を迎えた。このことは、鉄道建設に携わっていた多くの中国人が仕事を失うことも意味していた。

彼らは鉄道沿いにオープンした牧場にやってきて料理人として働くようになった。おかげで「Bar U Ranch」の食堂には、中華料理特有の回転式の円卓が採用されている。牛の群れを引き連れて大陸を移動していたカウボーイたちは、その牛たちと同様に牧場の柵の中へと納まり、牧場主の指示の下で働くようになっていった。そして、まだ中国が清朝だった時代、中国の人たちは太平洋を超え、アメリカやカナダで鉄道建設の現場で働き、そして牧場のコックになった。アルバータ南部は、こうした人たちによって「拓かれた」のだ。(つづく)

※この記事は2015年の取材に基づいて執筆しています。

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しあわせ写真

「Bar U Ranch」

今は史跡となっている「Bar U Ranch」では、1881年から1950年まで実際に大規模な牧場経営が行われていた。牛もカウボーイも、長距離の移動「ロング・ドライブ」をしなくなり、柵の中で暮らすようになっていったのだ。