旅の物語

アルバータの物語

第9回 バッファローがいた丘

「Bar U Ranch」のBarは「ー」、つまり棒のことで、その下にアルファベットの「U」がある。このマークが焼印として牛に刻みつけられ、牧場による牛の品質保証となっていた。

「Bar U Ranch」だけではない。僕が取材させてもらった4代続く牧場「Trails & Ranch」もやはりアルバータ州の南部にあって、カナディアン・ロッキーの西側に位置している。

このあたりは冬になると「チヌーク(chinook)」と呼ばれる台風のような局地風が吹き込んでくる。ロッキーの斜面を東から吹き降ろしてくるこの風は暖かくて乾燥していることから、このあたりの雪をあっという間に溶かしてくれるのだ。チヌークの呼び名は、先住民の言葉を起源としている。雪を溶かすその特性から、この風は「スノー・イーター=雪を食べる風」とも呼ばれる。

チヌークによって雪が吹き飛び、溶かされることから、バッファローは雪の下に隠された牧草を口にすることができた。加えて、降水量が豊富で小川もたくさんある。だからここはずっとバッファローの越冬地だった。何千年もこのカナダの大地で暮らしてきた野生のバッファローが選んだ土地だ、間違いがあるはずがない。バッファローがいた丘は、まぎれもなく牛の放牧にとっても最適の丘だったのだ。

1873年に北西騎馬警察(North-West Mounted Police)という組織が設立され、1875年には「フォート・カルガリー」が築かれた。北西騎馬警察はのちに、マウンティの愛称でも知られるカナダ王立騎馬警察(Royal Canadian Mounted Police=RCMP)になるのだ、当初の役割はその名前の通り「北西」、つまりカナダ北西部のアルバータ州とサスカチュワン州の治安維持だった。

先住民が生きるために必要な分だけしかバッファローを殺さなかったのに対し、アメリカから来た白人は狩猟を目的にバッファローを撃ち続けた。同時に、アメリカの密輸業者が持ち込んだウィスキーによってアルコール依存性となる先住民が続出したりと、トラブルが頻発していたのだ。

だから北西騎馬警察の最初の仕事は、主に先住民とアメリカのウイスキー密輸業者の争いを阻止し、秩序を維持することだった。しかし1879年にはこうした北西騎馬警察の役割も意味をなさなくなってしまう。なぜなら、この年にこのエリアのバッファローは絶滅し、食糧難に陥った先住民が居留地区に移動させられてしまったからだ。

バッファローが消え、バッファローを生活の糧(かて)をしていた先住民がいなくなった丘に、カナダ政府は牧場経営の希望者を誘致した。たくさんの人がこの丘にやってきた。北西騎馬警察の中には、3年の任期を終えてここで牧場経営を始める隊員もいた。
アルバータ州の南部、ポーキュパイン・ヒルズというところには「ヘッドスマッシュト・イン・バッファロー・ジャンプ」というユネスコの世界遺産に登録された場所がある。

先住民が6000年にもわたってバッファローの狩猟を行ってきた場所だ。にもかかわらず、アメリカ人による毛皮目的の狩猟が始まると、バッファローはあっという間に姿を消してしまった。チヌークが吹くこの丘に牧場を拓いた人には何の罪もない。ただ、アルバータの次の目的地・エドモントンに向かうにあたり、かつてこの丘でバッファローが生かされ、バッファローによって生かされてきた先住民の人たちがいたことを覚えてほしいと思うのだ。(つづく)

※この記事は2015年の取材に基づいて執筆しています。

⇒〔続きを読む〕第10回 Right Land

しあわせ写真

チヌークの吹く丘

カナディアンロッキーから、「スノー・イーター=雪を食べる風」チヌークが吹いて雪を溶かしてくれる。だからアルバータ南部の丘ではバッファローにとっても牛たちにとっても生きるのに適した場所なのだ。