旅の物語

カナディアン・ロッキーを越えて

第7回 シンフォニーのように

ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州

大陸横断国家カナダの建設に当たり、歴史的に大きな意味を持つクレイゲラキーに別れを告げ、ロッキーマウンテニア号はいよいよカナディアンロッキーへと近づいていく。

車窓から見える風景も徐々に「ロッキー」という感じになってきた。一人旅だというご高齢のドイツ人男性が、隣で外の景色にじっと見入っている。素敵な旅だなあと思う。カラフルなシャツが実にお似合いだ。一方の僕はいうと、これから昼食を前にした厨房の取材だ。階段を下りて1階の「レストラン」に入ると、乗客がいつ来てもいいよう、既にテーブルは準備万端といった佇まいを見せていた。

ロッキーマウンテニア号のメニューは、ジャン・ピエール・グレンとフレデリック・クトンという2人の有名シェフが監修している。そして7~8両ある「ゴールド・リーフ」の各車両には、すべて個別の厨房があって、専属の料理人が3人ずつ配置されている。

バンクーバーから乗車する前日、僕はロッキーマウンテニア号の広報担当者に話を聞くことができた。いわく、
「キッチンにはさまざまな工夫が施されていて、3人のシェフが“シンフォニーのように”連携して仕事をしている」
 確かに決して広いとは言えない厨房スペースで、流れるように昼食の準備が進められていた。

ゴールド・リーフの乗客が1階に降りてきて、昼食の注文が始まったようだ。厨房が活気と緊張感に包まれ始めた。
サーモンをソテーし、ハンバーガーのパテを焼き、付け合せを丁寧に盛り付け、シェフとサーブの女性が何事か言葉を交わす。シンフォニーは一気にそのテンポを上げていった。

グリルされた天然サーモンはこのボリュームだ。立体的な盛り付けがさらに迫力を増している。
アルバータポークのテンダーロインも絶品だった。
ロッキーマウンテニア号に乗車する機会があったら、ぜひとも絶品料理の数々をその目と舌で確かめていただきたい。

列車はこのルートを建設する際の最大の難所、「ロジャーズ・パス」へと差し掛かっていく。
ロッキー山脈と並んで走るセルカーク山脈をどうやって突破するのか。当時、ルートの探査を任されたのがアルバート・ロジャースというアメリカ人だった。山脈を縦走し、調査隊がついに見つけた突破可能な峠が現在の「ロジャーズ・パス」になった。
冬には15メートルもの積雪があり、6・4キロにもわたって雪崩を防ぐスノーシェッドを設ける必要があったが、それでもまさにカナディアンロッキーを越える「突破口」だったと言える。

この雪深い難所では、開通後の1910年に大規模な雪崩が発生、除雪作業の最中に第二波の雪崩が起き、巻き込まれた作業員58人が亡くなっている。その中には32人もの日本人が含まれていた。
映画「バンクーバーの朝日」で、主人公レジー笠原の父は鉄道工事の仕事をしていた。当時、バンクーバーの日本人社会には、労働者集団をたばねる「ボス」がいて、このボスが木材の伐採キャンプや鉄道工事の仕事を受注し、労働者を集団で送り込む仕組みがあったという。
映画でも、父親役の佐藤浩一さんら日本人労働者がトラックの荷台に乗せられて移動するシーンがあった。雪崩の犠牲になったのも、そんな人たちだったろう。
 写真=Byron Harmon, Avalanche clearing on C.P.R. line in the Selkirks, 1910, (v263-na-1656), Whyte Museum of the Canadian Rockies

 

大陸横断鉄道は、建設中にも多くの犠牲を生んでいる。工事には、安い賃金で雇われた多くの中国人労働者が投入された。
事故が相次ぎ、線路1キロごとに3人の中国人労働者が命を落としたとまで言われている。線路が完成し、仕事を失った中国人はカナダ各地で商売やレストランを始めた。だからカナダの多くの街で、僕は味に「はずれ」のない中華レストランに助けられているのではないか、などと思っているのだ。
興味深いのは、ロッキーマウンテニア号が乗客に提供する資料で、鉄道建設での中国人労働者の犠牲についてもきちんと言及している点だ。
 写真=Byron Harmon, Train ploughing out March 5, 1920 avalanche at snowshed no. 14 in the Selkirks, 1910, (v263-na-1656), Whyte Museum of the Canadian Rockies

そして僕が思い出したのが2014年、オタワの戦争博物館での出来事だ。取材に訪れた僕を、予告なしに副館長の女性が出迎えてくれ、太平洋戦争時にバンクーバーの日系人が「敵性外国人」として全財産を没収され、内陸部の強制収容所に送られたことを伝える写真展へと案内してくれたのだ。
その時の取材は別の目的だったのだが、日本人が取材に来るのに日本とカナダの悲しい過去について説明せずにはいられなかったのだろう。バンクーバー朝日軍が消滅したのも、人種差別による強制収容という行為によって日系人社会が根こそぎに崩壊させられたからだった。
 決して正当化されない行為ではある。しかし、ロッキーマウンテニア号が鉄道建設における中国人の犠牲について紹介するのと同様、カナダ人が過去と正面から向き合おうとする姿勢はしっかり評価されるべきだと僕は思う。

ロッキーマウンテニア号のスタッフも厨房も、いろいろな国の出身であろう人たちがいっしょになって、和気あいあいと仕事をしていた。
厨房の料理人だけではない、ロッキーマウンテニア号全体が、移民の国・カナダを象徴するような“シンフォニー”を奏でていた。
列車を降りる時には封筒に入った絵葉書と、スタッフが直筆で名前などを書いた、こんなメッセージカードも贈ってくれた。
カナダの魅力は雄大な大自然だけではない。フレンドリーで純粋で、過去の過ちにも正面から向き合おうとするカナダ人そのものが、この国の最大の魅力なのだと僕は思っている。
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※シリーズ「カナディアン・ロッキーを越えて」は2015年の取材に基いています。また一部でロッキーマウンテニアから提供を受けた写真を使用しています。

しあわせ写真

ロッキーマウンテニア号の料理の思い出

ロッキーマウンテニア号で出された料理は、どれもこれもこの上なく美味しかった。列車の旅の楽しみと言えば、なんといってもおいしい食事だろう。そしてこの豪華列車は、スープから始まって終わりのデザートまで、すべてで僕を満足させてくれたのだ。