旅の物語

カナディアン・ロッキーを越えて

第8回 駅を守る人

ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州

ロッキーマウンテニア号は徐々に速度を落としていき、レイク・ルイーズ駅のホームに静かに停車した。

僕のロッキーマウンテニア号での旅はここで終わりだ。列車は終点、ロッキー観光の拠点バンフへと向かっていく。僕はレイク・ルイーズで、1910年に建てられた歴史ある駅を守り続けている人物と会う約束があるのだ。

「ロッキーの宝石」とも呼ばれる景勝地レイク・ルイーズ。かつては大勢の観光客を乗せたカナダ太平洋鉄道(CPR)の旅客列車が次々とこの駅に到着したことだろう。
しかし時代は流れ、カナダ国内の移動は飛行機や自動車が主流となり、CPRは1989年に旅客部門から撤退して貨物輸送に特化した。このため、旅客事業を担う国営企業のVIA鉄道も、1990年にスタートしたロッキーマウンテニア号もCPRの線路を借りて運行しているのだ。

定期的に旅客列車が停車しないレイクルイーズ駅は、駅にもかかわらず駅員はいないし改札もない。切符を買うこともできない。ふだんは旅人が乗り降りしない「駅」なのだ。
旅客部門から撤退するCPRが駅舎を取り壊すと聞いて、何とか駅を守りたいと考えたのが「レイク・ルイーズステーション カフェ&ビストロ」のゼネラルマネージャー、ジェリー・クックさんだ。

「当時のレイク・ルイーズ駅はボロボロで、ガーデンもないし石ころだらけだった」
ガーデン? 「庭」とは何のことだろうか。
かつてCPRの駅長はみな、時間を見つけては駅のすぐそばに「ガーデン」をつくり、乗客に楽しんでもらっていたという。旅客事業が衰退するのに伴い、「ガーデン」もまた荒れ果てていったのだろう。
「駅がなくなってしまうのは本当にさびしいと思った。だからCPRの責任者に会って『あの駅をどうするんだ』と聞いたら『1ドルで売ってやる』と言われたんだ」

それは、わずか1ドル、ただ同然で駅舎を譲る代わりに、貨物列車の運行に当たるCPRの乗務員用として、駅のそばに宿舎を建ててくれないか、という何とも粋な提案だった。
ジェリーさんはこの提案を受け入れて駅舎を改装し、宿舎を建て、1991年にレストランとして「駅」を再スタートさせた。もちろん「ガーデン」も見事に生まれ変わった。


駅舎の横にはジェリーさんの手によって、CPRの1925年製ダイニングカーと、1906年製ビジネスカーが置かれることになった。
線路の上を走ることはなくなったダイニングカーは今、「レイク・ルイーズステーション カフェ&ビストロ」の一部として、団体やグループ客が食事を楽しむ場となった。
車内は豪華で、歴史と趣きを感じさせられる。並んでいる銀食器も1900年代はじめごろ、CPR車内で実際に使われていた年代物だ。

一つひとつの食器にはしっかりと「CPR」の文字が刻まれている。「CP」とだけあるのは、「CPR」が経営していた旅客船で使われていた食器だ。カナダ太平洋鉄道の経営ではあるが、レイルウェイではないので「R」は使わずに「CP」。つまり、あの「香港‐横浜‐バンクーバー」の定期航路などで使われていたのだろう。

一方、あまり聞き慣れない「ビジネスカー」とは、CPRの歴代社長などの最高幹部が使った専用車両だ。常に列車の最後尾に連結されていた。
 彼らはカナダ中を移動しながら「動くオフィス」で働き、「動くホテル」で寝泊りした。現代ならさしずめ、ビジネスクラスに乗って世界中を飛び回る経営者のようなものだろうか。
 ただし、ビジネスカーにはキッチンがあり、専用の料理人と給仕が配置されていた。シャワールームまである。そして近くの小部屋には常に秘書が控えていて、事務に当たりながら突然の「呼び出し」に備えていた。

その「呼び出し」に使われたのがこのベルだ。ビジネスカーには、シャワールームにもキッチンにも廊下にも、文字通り至る所にこのベルが取り付けられている。ビジネスカーの主(あるじ)がベルを押すと、秘書らがすっ飛んでくるという仕組みだ。「まるで王様のようだ」とつぶやくと、ジェリーさんからはこんな答えが返ってきた。
「当時のCPRの社長はまさしく、王様にも等しい存在だったはずだよ」
人や物資輸送の大動脈を支える大陸横断鉄道の社長の権力とは、いかなるものだったのだろうか。

ビジネスカーの最後尾にある「王様」の執務室の天井には、照明と扇風機とサーキュレーターがいっしょになったような、ユニークな装置があった。当時の最先端なのだろう、扇風機のカバー部分が回転して風を室内に循環させる仕組みだ。
どうして取り壊される駅を譲り受け、多額の費用をかけてレストランを経営しようと考えたのだろうか。
「自分たちが守らなかったら駅はなくなっていた。そうなるのは本当に残念だった。駅は絶対にあった方がいい。みんな列車は大好きだし、子どもだって電車のおもちゃをねだるじゃないか」
僕はその迫力から、ジェリーさんを密かに「レイクルイーズのゴッドファーザー」と呼んでいるのだが、なんだか子どもみたいな答えが返ってきた。

ジェリーさんの父親は蒸気機関車の運転手だった。
「子供のころ、父親が何度か蒸気機関車に乗せてくれた。それは本当に素晴らしい思い出だ。わたしは蒸気機関車が大好きなんだ。車両も車輪もエンジンもすべてが大きい。石炭が燃える臭いも好きだ。まるで動くアートのようだ。蒸気機関車が好きだ。だから、このレストランを始めたんだ」

その夜はレストランとして蘇ったレイクルイーズ駅で食事をした。メープルシロップの風味豊かなサーモンに、脂身の少ない赤身のアルバータ牛のステーキ。駅舎が残ってよかった。
列車を降りた時は、やはり「駅」に出迎えてほしい。たとえそれが本当の駅ではなく、駅舎であり、レストランであったとしても。
「駅は絶対にあった方がいい」
子どものようにそう話すジェリーさんに、理屈ぬきで賛成したい。
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※シリーズ「カナディアン・ロッキーを越えて」は2015年の取材に基いています。また一部でロッキーマウンテニアから提供を受けた写真を使用しています。

しあわせ写真

「レイク・ルイーズステーション カフェ&ビストロ」の看板

車両も車輪も大きくて、蒸気機関車が大好きだ、と語るジェリーさんの顔が浮かんでくるようなレストランの看板。機関車の模型がなんともかわいい。