旅の物語

ケベック謎解きの旅

第10回 血の色の酒とカーニバルの始まり

カナダ・ケベック州

特別な「謎」など秘められているとはとても思えない、あの陽気なボノムがかぶっていた赤い帽子「トゥーク」は、正規のファー・トレーダーだけに許されるものだった。ではボノムは、先住民と毛皮の交易を行うファー・トレーダーなのだろうか。ボノムについて調べているうち、僕はもう1つボノムに関わる「謎」に遭遇することになった。それが「カリブー」という名の血の色をした酒だった。

血の色をしていて当然。なにしろ先住民たちがカリブー、つまりトナカイの血を飲んでいたことからこの名前がついたのだ。
ファー・トレーダーはビーバーの毛皮を入手するため先住民の集落を訪ね歩いた。その際、先住民からカリブーの血を飲むよう勧められたという。先住民にとってのカリブーは、食べ物や衣類となることで自分たちの生活の根幹を支えてくれる極めて重要な存在だった。だから、血を飲むことでカリブーの魂や生命力を手に入れることができると信じていた。だから先住民は、訪ねてきたヨーロッパ人にもカリブーの血を飲むよう勧めたのだ。

友情を誓い合う「固めの盃」みたいなものだろうか。もし血を飲むのを断ろうものなら
「俺の酒が飲めねえって言うのか」
みたいなことになったんじゃないだろうか。酒が苦手な営業マンのつらい接待みたいだ。なにしろ一方的にビーバーの毛皮が欲しいのは白人の方であって、先住民には毛皮を渡さなければならない切羽詰まった事情はない。だからこそ白人のファー・トレーダーは先住民のトラッパーに気に入られるため、カリブーの血を飲む必要があったのだろうと僕は想像している。

そんなファー・トレーダーが、生臭い血を飲みやすくするためにこっそりと酒を混ぜた、というのがカリブーという酒の始まりだそうだ。もう、ウイスキーの水割りを飲むふりをしてウーロン茶を飲んでいる下戸の営業マンみたいで泣けてくる。今では、赤ワインと別のアルコールを混ぜたポートワインのように甘い酒、というのがカリブーの一般的な定義だと聞いた。ただし、色だけは変わらず今も血の色をしているのだ。


ケベックの冬の祭典、ウインター・カーニバルの歴史は、このカリブーという酒と切っても切れない関係にある。1954年にカーニバルが始まった頃、それはセンテライズ・ストリートという1つの通りを通行止めにし、雪像をつくったりする程度の小規模かつローカルな催し物だったという。
当時、その通りに住んでいたエンジニアの「チペールさん」というニックネームの男性が、雪像を作る職人たちにカリブーをふるまったことが、この酒とカーニバルを強く結びつけることになった。


チペールさんはライセンスを取得して1960年にバーを開店。今で言えば、趣味を生かした「起業」といったところだろうか。
バイオリンとアコーディオンを聞きながら酒を楽しめるチペールさんの店は評判を呼び、以来、カーニバルの時期にはチペールさんの店でカリブーを飲むのがケベックの人たちの楽しみとなっていった。
雪像づくりは寒いだろうからと、赤の他人を家に入れて酒をご馳走しようなんて思う人だから、もともと客商売の才があったのだろう。なにしろチペールさんは1990年に亡くなるまでの30年間で、150万人の客にカリブーを提供したと言われているのだ。


さて、カーニバルの際に「カリブー」を飲むにあたっては1つの「作法」がある。まずはカーニバルの会場で売っているボノムの「杖」を購入する。次にボノムの頭のキャップを外し、杖の内部にカリブーを流し込むのだ。
カーニバルの時期は氷点下が当たり前。特に夜のパレード見物なんて、酒でもなくちゃ寒くてしょうがない。寒い時、そしてもう一段テンションをあげたい時、ボノムの頭をキュキュッと外し、杖の中のカリブーを飲むというわけだ。


まあ、杖は携帯用のウイスキーボトルみたいなものだ。僕もやってみたけれど、ケベック通になったみたいでいい具合にテンションが上がってくる。こんなことをやる日本人はそうそういないから結構「受け」もいいし、テンションも一層上がってくる。
さて、チペールさんは1990年に亡くなってしまったけれど、息子さんによって店の展示品が保存され、カーニバルの期間中だけプチ・シャンプラン通りにある劇場のバーに飾られている。


劇場の主人、リチャード氏がチペールさんの看板とともにカメラにおさまってくれた。このバッジいっぱいのジャケットがチペールさんのトレードマークだったそうだ。
ケベック・ウインター・カーニバルのマスコットであるボノムと同じ赤い帽子をかぶったファー・トレーダーたちが、毛皮を持つ先住民たちと付き合ったことから生み出されたカリブーという酒。この血の色をした酒が偶然にも、ボノムとともにウインター・カーニバルになくてはならない存在となっている。

劇場のバーには、チペールさんから息子さんが受け継いだのだろう、今のボノムとは印象が違う、古いボノムグッズが所狭しと飾られていた。漫画のキャラクターなんかも連載を重ねていくうちに印象が変わることがあるけれど、ボノムも同じなのかもしれない。
さて、このボノムの杖には結構な量のカリブーを入れることができるので、そう簡単には飲みきれない。僕は夜、ホテルに戻って残りを飲んだけれど、こういう状況で1人で飲んでみると単に飲みにくいだけだった。
夜、ケベックのホテルで1人、慎重に杖を傾けながらカリブーをこぼさないように飲みほしていると、なんだか徐々にテンションが下がり始めた。
ああそうか、コップに注いで飲めばよかったんだ。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアター https://www.canada.jp/ に掲載したものを加筆・修正しています。

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しあわせ写真

ケベック・ウインター・カーニバルの古い写真

ケベック・ウインター・カーニバルでは、美しい女性たちによるコンテストも行われた。まさにケベック中が盛り上がる冬の祭典なのだ。