旅の物語

日本・カナダ TSUNAGARIの物語

第3回 フレーザー川にサケがわく

カナダ・スティーブストン、和歌山・三尾

 

三尾出身の工野儀兵衛(くの・ぎへい)氏がカナダに渡ったのは1888年、明治21年のことだ。バンクーバーの南、フレーザー川の河口に位置するスティーブストンという漁港でサーモン漁が盛んに行われているのを見た儀兵衛氏は、三尾に手紙を書いたそうだ。「フレーザー川に鮭が沸く」と。文字通り、この川には毎年サーモンがわいて出るかのように押し寄せてくる。〔写真=体を真っ赤に染めて遡上するベニザケ〕

無数のサーモンが河口に集結し、産卵のため生まれ故郷の上流へと川を遡る。特に体を真っ赤に染めたベニザケ(ソッカイ・サーモン)の遡上は「サーモン・ラン」と呼ばれ、4年に1度、遡上の多い年には「ビッグ・ラン」とその呼び名が変わる。エサを一切食べずにひたすら川を遡上する前、サーモンは体にたっぷり栄養を蓄えている。だからスティーブストンではサーモン漁が盛んに行われていた。そして写真の地図にあるように、河口にはサーモンを待ち受けるかのように缶詰工場が林立していた。〔写真=かつてスティブストンに林立していた缶詰工場〕

ここには漁という仕事がある、缶詰工場で稼げる。そう考えて儀兵衛氏は故郷に手紙を送り、親戚や村人たちをスティーブストンへと呼び寄せた。いつの世も出稼ぎや移民の背景には、故郷で食べていけないとか、生活が苦しいといった事情がある。スティーブストンには日本の別の土地からもたくさんの出稼ぎがやってきていたが、儀兵衛氏のおかげで三尾の出身者が突出して多かった。〔写真=三尾出身の工野儀兵衛氏〕

サーモン漁で、缶詰工場で、また漁期以外には製材所などで肉体労働に従事した三尾の人たちは、稼いだお金を手に三尾に戻ったり、故郷に送金を続けたりした。そうして三尾には洋風の家が立ち並ぶようになり、小学校も修繕された。今はもう洋風の家は消え、学校も閉校となってしまった。けれど三尾には、100年の時を越えてトーテムポールがやってくる。すべてのきっかけは太平洋を渡った儀兵衛氏の勇気と、サーモンによって生みだされたのだ。(続く)
〔写真=バンクーバーの鮮魚店に並ぶサーモン〕

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第4回 そしてサーモンは戦場に行った

 

 

 

 

 

しあわせ写真

産卵を前に体を真っ赤に染めたベニザケ

川を遡上するベニザケ(ソッカイ・サーモン)は、産卵に備えて体を赤く染めていく。