旅の物語

日本・カナダ TSUNAGARIの物語

第4回 そしてサーモンは戦場に行った

カナダ・スティーブストン、和歌山・三尾

三尾の人たちはカナダのスティーブストンに渡り、漁師経験のある男たちはサーモン漁に従事し、女たちはサーモンの缶詰工場で包丁を手にサーモンをさばいた。ここでちょっと脱線して、三尾の人たちが当時作っていた缶詰のラベルを見てみたい。例えばこれは頭に羽根飾りをつけた先住民、いわゆるインディアンがカヌーを漕いでいる。

先住民とカヌーでカナダらしさをアピールしようという狙いなのだろう。日本なら「芸者」や「忍者」といったところだ。このWEBサイトの名前「Portage(ポーテージ)」も採用されていた。当時、カヌーを担いで移動することがカナダらしさだという共通認識があったとはとても思えないのだが、「Portage Salmon」は確かに存在する。

カナダと言えば「MOUNTIE(マウンティ)」。王立カナダ騎馬警察隊(Royal Canadian Mounted Police=RCMP)の愛称だ。RCMPはサーモンとはまったく関係ないが、これなどはまさに「ゲイシャ印の鮭缶」の類(たぐい)なのだと思う。

日本で最初に缶詰が作られたのは北海道で、やはり鮭缶だったという。こちらの古い北海道の鮭缶はPortageやMOUNTIEのような遊びはないけれど、ラベルに遊びがあるぐらいがちょうどいいのかもしれない。1941年、真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発すると缶詰も戦時色に染まってしまうのだ。

「VICTORY SALMON」とは、なんとまあ無粋なのだろう。しかし、長期保存が効く缶詰は大戦中、兵士の食料として重宝されたし、そもそも缶詰というものは、ナポレオンが行軍のために食料の保存法の開発を命じ、食べ物を瓶詰にして熱し、コルクで栓をするようになったことに端を発するそうだ。

だから缶詰と戦争はもともと深い関係にあるし、特に産卵のため毎年必ずやって来るため決まった漁獲が見込めるサーモンは缶詰の材料にぴったりだった。だとしても「SEARCHLIGHT SALMON」とはひど過ぎる。そして戦争はサーモンの缶詰だけでなく、三尾の人たちの運命にも大きな影響を与えるのだが、それはまた別の機会にお話ししたいと思う。(続く)

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第5回 缶詰工場は川の上にある

しあわせ写真

VICTORY SALMON

兵士の士気を高めようということなのだろう。それにしてもサーモンをこんなふうに使わないでほしい思わざるを得ない。