旅の物語

日本・カナダ TSUNAGARIの物語

第5回 缶詰工場は川の上にある

カナダ・スティーブストン、和歌山・三尾

三尾の人たちが働いたスティーブストンの缶詰工場は、水の上にあった。川に突き立てられた柱の上に工場が乗っかっている感じだ。川の上ならサーモンの水揚げにも便利だし、さばいたサーモンを洗った水もそのまま川に流すことができる。工場の床の下には、フレーザー川の川面があったのだ。〔写真=水面から突き出た丸太の柱。今もスティーブストンで見ることができる〕

かつて缶詰工場だった国定史跡「Gulf of Georgia Cannery」を取材した際、僕はだんだん足元が冷えてくるのを感じていた。考えてもみてほしい、床の下は水面なのだ。当時、赤ん坊を背負って働く女性たちの足腰をこの冷気がじわじわと痛めつけた。目の前にあるホースからは冷たい水が流れ続ける。さばかれたサーモンの腹の中をこの水で洗い流すのだ。〔写真=Gulf of Georgia Canneryに展示されていた当時の写真〕

腰を冷やし、冷たい水でサーモンを洗い続けた女性の多くが、関節の痛みに悩まされた。そんな母親と家計を助けるため、背中にいた赤ん坊は小学生ぐらいになると、自分たちも工場で働くようになった。子どもたちはサーモンを詰める缶をレーンに流すため、天井裏に陣取った。缶の補充ぐらいなら彼らにもできる仕事だった。そうして家族で稼いだお金が、和歌山県の三尾を洒落た洋風の家が立ち並ぶ「アメリカ村」にしたのだ。

しかし太平洋戦争が始まると、彼らの暮らしは根底から覆されてしまう。スティーブストンなど太平洋沿岸に住む日本人や日系人は、海を渡ってくる日本軍と連携しかねない危険な「敵性外国人」と見なされ、内陸部へと追われた。サーモンの缶詰のラベルも「戦時仕様」に改められた。そんな悲しい過去も踏まえながら、トーテムポールは三尾とスティーブストン、日本とカナダのTSUNAGARI(ツナガリ)を確かめ合うためにやってくる。船は2月24日、バンクーバーの港を出発するという。(続く)
〔写真=Gulf of Georgia Canneryの全景〕

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第6回 50年前に巨木は海を渡った

しあわせ写真

Gulf of Georgia Cannery National Historic Site

「Gulf of Georgia Cannery National Historic Site」の入り口に設置されていたパネル。水面から突き出た柱の上に工場の建物が乗っているのが分かる。