旅の物語

日本・カナダ TSUNAGARIの物語

第7回 アンが教えてくれる「これからの旅」

カナダ・スティーブストン、和歌山・三尾

カナダから和歌山県の三尾に贈られるトーテムポールは、既に大阪に到着している。ただし、ポールを立てるには裏側に鉄柱を取り付けたりする必要があるので、三尾でポールがお披露目されるのは5月ごろになるようだ。そこで少しポールだけではない、日本とカナダのさまざまなTSUNAGARI(ツナガリ)について話をしたい。まずは「赤毛のアン」の話から。〔写真=アンが暮らした家を再現した「グリーン・ゲイブルズ・ハウス」〕

日本には本当に「赤毛のアン」のファンがたくさんいらっしゃる。一生に一度は物語の舞台、プリンス・エドワード島(PEI)を訪れたいという方も大勢おられるし、アンが大好きでPEIに移り住んでしまった方もいる。ルーシー・モード・モンゴメリの「Anne of Green Gables」が発表されたのは1908年。それを村岡花子さんが「赤毛のアン」として日本に紹介したのが1952年のこと。以来、「Anne of Green Gables」=「赤毛のアン」はたくさんの日本人にとって特別な本となり、PEIは特別な島になった。〔写真=アンが夢見た袖のふくらんだ服〕

太平洋戦争が始まれば日本とカナダは敵国になってしまうー。1939年、日本で35年もの間、女子教育に尽力してきた宣教師のミス・ショーがカナダに帰国する際、見送りにきた友人の村岡花子さんに「Anne of Green Gables」を贈ったのがすべての始まりだった。この出来事がなければ、いかにアンが世界一美しい島だと言っても、PEIは世界にたくさんある美しい島のひとつにすぎなかっただろう。〔写真=大騒動のきっかけとなるマリラの紫水晶のブローチ〕

しかし1さつの本の存在によって、はるか遠くPEIは単なる観光地ではなく、特別な場所になった。僕もあの島で大災害でも起きたらひどく心配するだろうと思う。ほかの島よりもずっと。新型コロナウイルスによって、これからの旅は今までと違ったものになるはずだ。土地の人たちの暮らしや歴史に敬意を払い、受け入れる側も心から歓迎してくれるような旅ができれば、そこにTSUNAGARIが生まれ、もはや単なる観光地ではなくなるのだ。1本のトーテムポールが贈られることで、日本とカナダの間にまた新しい「特別な場所」が増えるのだろう。(続く)
〔写真=PEI特有の赤い土の道〕

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第8回 トーテムポールの除幕式

 

しあわせ写真

「Anne of Green Gables」の初版本

ルーシー・モード・モンゴメリがプリンス・エドワード島で書き上げた「Anne of Green Gables」の初版本。