旅の物語

永遠のカヌー

第2回 キャンプで注意すべきこと

オンタリオ州・アルゴンキン州立公園

僕にとって初のカヌー体験の舞台となるアルゴンキン州立公園に向けて、車が進んでいく。1893年創設のオンタリオ州最古の州立公園の面積は7,630平方キロメートル。東京都の3倍以上もの広さがある。

トロントから北上すること約3時間。その途中、道端にはやたらとシカやムースに気をつけろ、という標識が現れた。ムースとは、巨大なヘラのような角を持つ「ヘラジカ」のことだ。小さなものでも体重は数百キロ。車で衝突するとムースを跳ね飛ばしてしまうのではなく、ムースの巨体がフロントガラスを突き破って運転席に突っ込んでくるそうだ。

つまり、ムースとの衝突は明らかに人間側にとって危険なのだ。そして、シカやムースだけでも大変なのに、時々、道路を横切るスノーモービルに注意しろという標識までが登場する。オンタリオ州にはたくさんのスノーモービルコースがあり、道路を横切るコース設定もされている。だから冬になるとスノーモービルにも注意しなければならない。

いろんなものが飛び出してくるなあ、などと考えていると、今度は「ヒト」の看板が登場した。「ヒト」が道路を横切るなんて極めて当たり前なのだが、ムースやシカやスノーモービルの標識を見続けていたあとにいきなり「ヒト」が出てくると、「ヒト」まで飛び出してくるのか?」と少々びっくりしてしまうのだ。カナダ旅行の最中にもし機会があったら、この倒錯したドライブをぜひとも体験してほしいと思う。
さて、これから僕がカヌーやキャンプを体験するアルゴンキン州立公園では、トイレや車の駐車など、施設の利用には必ずパーミット(認可証)を購入しなければならない。

キャンプのパーミットも、キャンピングカーなのかテントなのかで料金が違う。僕が体験するのは「インテリア・キャンプ」というもの。インテリアとは「深部」とか「奥地」といった意味。カヌーを漕いで奥まで分け入り、湖畔にテントをはってキャンプをするのだ。手続きを済ませたあとは、写真のような店でカヌーをレンタルする。ここでは売店のほかに、キャンプを終えた時にさっぱりするためのシャワーなんかも備わっていて、なかなか立派な施設なのだ。

店の前にはアルミ製のカヌーがずらりと並べられていた。きれいな銀色のお腹をした魚のようだ。ただし、僕が借りるのはこの手のカヌーではない。アルミ製のカヌーは頑丈だが重たいため、カヌーをかついで陸地を進む「ポーテージ」には不向きだ。

ポーテージに最適なのは、グラスファイバーよりさらに軽くて強い「ケブラー」という素材でできたカヌーなんだそうだ。湖畔に置いてあるケブラー性のカヌーの船底を見てみると、確かに傷はついているけれど表面だけにとどまっているし、耐久性はかなりのもののようだ。

「パーミット・オフィス」には、これからカヌーを漕ぎ出そうという人たちのために、キャンプでの注意点に関する掲示などがあった。ホワイトボードには熊の絵が描かれていて、その下にずらりと赤字で湖の名前などが並んでいる。つまり、どこに行くにしても、そこそこ熊は出るから気をつけろ、ということだ。

天井からは青いプラスチック製の「樽」が吊るされている。インテリア・キャンプでは、食料は木に吊るして熊に食べられないようにするのが鉄則だ。それを怠けて地べたに置いておくと、こんなふうに熊に食い破られてしまうことになる。「熊の国へようこそ」と書いてあった。またパーミット・オフィスにはもう1つ、重要な事項についての展示があった。「サンダー・ボックス」という名前の木製トイレだ。アルゴンキン州立公園では、湖畔でインテリア・キャンプをできる場所が指定されていて、そこには予めこのトイレが設置されている。

深い穴を掘って、その上に「サンダー・ボックス」を設置する。穴がいっぱいになったら別の場所にまた穴を掘り、「サンダー・ボックス」は新しい穴の上へと移される。使い終わった穴は土で埋め、あとは自然に戻っていくという寸法だ。用を足した後、このチェーンでつながれたフタをおろすと、これが結構な重さで「バターン!」と大きな音を発生させる。それがまるで雷のようなので「サンダー・ボックス」と呼ぶんだそうだ。「雷」が鳴るとトイレが空いたことが分かるから便利なんだと聞いたけれど、そんなに景気よく「雷」を鳴らさなくてもいいんじゃないだろうか。僕は湖畔のキャンプで、大自然の素晴らしさに浸っている時に、バターン!と「雷」が鳴る光景を思い浮かべていた。蓋は静かに閉めて、「空きましたよ」と言えば済むんじゃないのか。僕はそう思う。
⇒次の記事 「第3回 素朴な疑問」を読む

シリーズ「永遠のカヌー」は2015年の取材に基いています。

 

しあわせ写真

「ムース注意」の道路標識

カナダを車で移動していると、「ムース注意」の道路標識を目にすることがある。ムースはあまりの巨体のため、車と衝突した場合、運転席の人間の方が命の危険があるのだそうだ。