旅の物語

ケベック・シャルルボア しあわせキュイジーヌの旅

第13回 「しあわせ」な人たちが暮らす場所

ケベック州シャルルボア

シャルルボアから戻った列車は、真っ暗な闇の中、モンモランシー滝駅に到着した。これで「しあわせ」いっぱいの旅もひとまず終わりだ。

僕が訪れたシャルルボアはどこもかしこも、おいしいものにあふれ「しあわせ」に満ちていた。ベ・サン・ポールもクードル島もラ・マルベも。おいしくて、気取らなくて、肩の力が抜けていた。
おいしいものを食べるのに、面倒な理屈を振りかざす必要はないと思う。「塩を付けて食え」なんて食べ方を強要する頑固オヤジも願い下げだ。

みんなおいしいものが大好きで、楽しそうに料理をつくり、作物を育て、動物たちの世話をしていた。そのあとで屈託なく、家畜を「トランスフォーム」していたりもしていた。
だんだん「トランスフォーム」という言葉も気に入ってきた。

シャルルボアという土地自体が「しあわせ」に包まれていたから、野菜も果物も牛も羊も、卵だって豚だって、みんな「しあわせ」そうな「顔」をしていた。どのレストランに行っても列車の中でも、みんな「しあわせ」そうに食べていた。たくさん笑っていた。楽しそうな音楽が流れていた。
「さち」を通じて「しあわせ」になって若干、食べ過ぎを気にしてお腹をなででいたりもしていた。

食事なんて楽しければいいじゃないか、なんて無責任なことは決して言わない。しかし一方で、楽しくなかったら何のために食べるんだろうってことも、ちょっとだけ言っておきたい。
生命を維持するため?
筋肉を付けるため?
グーグー鳴っているお腹を黙らせるため?
食事の時間になったからただ食べてるだけ?

そういう面があるのは否定しないけれど、ケベックのシャルルボアを訪れて「しあわせキュイジーヌの旅」を経験すれば、もっともっと食べること、「さち」をいただくことが「しあわせ」なことだって分かるはずだ。
せっかく野菜や果物、それに「トランスフォーム」された動物たちの命をいただくんだから、これはもう「しあわせ」にならないと失礼極まりない話なのだ。

さて、みんながみんな「しあわせ」そうだったシャルルボアで、コイツだけが「しあわせ」なのか判然としなかった。オーストラリアからやってきたエミューだ。
ハンク鈴木さんは、エミューの肉はおいしいと言っていた。その脂は化粧品などに利用されている。でも、いくら顔を覗き込んでも「しあわせ」なのかどうか、さっぱり分からなかった。
次に僕がシャルルボアを訪ねたら、まあ無理なお願いかもしれないけど、少しだけ「しあわせ」そうな笑顔を見せてくれよ。だって「しあわせ」いっぱいのシャルルボアにいるんだから。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアターhttps://www.canada.jp/に掲載したものを加筆・修正しています。

⇒〔連載の最初に戻る〕第1回 しあわせな人たちが暮らす場所

しあわせ写真

忘れられないシャルルボアの味

シャルルボアの旅を振り返って、一番心に残っている味と言えば、実は生で食べたこのトウモロコシだ。甘いジュースが口いっぱいに広がり、口の横から元気にジュースが噴出した。幸(さち)を食べてるなあ、と心から思えた味だ。