旅の物語

ケベック謎解きの旅

第2回 最上級の帽子

カナダ・ケベック州

カナダを代表する動物「国獣」はビーバーだ。ホッキョクグマでもムース(ヘラジカ)でもない。なぜかビーバーなのだ。僕はケベックの旅の途中、州議事堂の屋根の上にビーバーの彫刻があるのを見つけた。日本なら県庁の建物に何らかの動物の彫刻があるのと同じようなものだ。その動物がビーバーなのだ。

考えてみると、カナダの5セント硬貨はビーバーのデザインだし、カナダを代表するファッションブランド「ROOTS」のマークも、国立公園を管理する政府機関「パークス・カナダ」のマークもやはりビーバーだ。職員が着る緑のユニフォームには大きな尻尾を持つビーバーがしっかり描かれている。ふと見渡してみると、カナダではビーバーだらけなのだ。


単に「国獣」だからという理由ではない。そもそもビーバーという動物がカナダにとって重要な存在であるからこそ「国獣」に選ばれ、カナダ中にビーバーがあふれることになったのだ。
フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが、今のケベックシティに砦を建設したのが、カナダの「始まり」だと僕は既に書いた。
その砦とは、実はビーバーの毛皮の交易所だった。
毛皮から作られたのはコートなどの防寒具ではない。ヨーロッパ人はビーバーの毛皮から「帽子」を作っていた。
彼らは帽子の材料となるビーバーの毛皮を求め、危険を冒して大西洋を渡り、冬は氷点下になる厳寒の地に砦を築いたのだ。

たかが帽子ごときに、と思うかもしれない。しかし、それはただの帽子ではない。ビーバーの毛皮から作られた帽子は「ビーバー・ハット」と呼ばれ、当時ヨーロッパで大流行していたのだ。
貴族や軍人や聖職者など、上流階級の人の帽子はみんなビーバー・ハット。広く知られるイギリス紳士の山高帽もビーバー・ハットだ。
もっと分かりやすい例を紹介しよう。かのナポレオン・ボナパルトの二角帽の素材もビーバーの毛皮だと言えば、ビーバー・ハットのすごさが分かってもらえるだろう。権力の頂点にあったナポレオンは、なんと120個ものビーバー・ハットを所有していたそうだ。

毛皮と言っても、毛皮をそのまま帽子にするわけではない。皮から毛だけを取って黒いフェルト地を作るのだ。
ビーバーの毛皮をかき分けると、外側の固くて長い毛の下に、ふわふわした内毛がある。この内毛だけを皮から剃り取り、蒸気で圧力をかけたりすることで、毛と毛が絡み合う「縮絨(しゅくじゅう)」ということが起こり、見事なフェルト地になる。ビーバー・フェルトから作られた帽子は、その光沢や耐水性などからヨーロッパで最上級の帽子として絶大な支持を得たのだ。

もっとも、その後帽子の流行は乱獲によるビーバーの減少などの理由から、いつしか「シルクハット」へと移って行くことになる。しかしいずれにしても、当時ヨーロッパに持ち込まれたビーバーの毛皮は、莫大な富をもたらしてくれる産物だった。だからこそ、毛皮を求めて多くのヨーロッパ人が後にカナダとなる大地を巡り、結果的にカナダという国が成立する「基礎」が築かれていくことになったのだ。

さて、僕はどのようにしてビーバーが捕らえられていたのかについて知るために、ケベック空港近くの先住民居留地「ワンダケ」を訪ねることにした。ここに住むヒューロン族と呼ばれる先住民の本当の名前は「ワンダット」という。世界は巨大な亀の甲羅の上にあると考えていた人たちだ。彼らはかつて、ヨーロッパ人が運んできた疫病から逃れるため、今のオンタリオ州・ヒューロン湖の辺りに移り住むことを余儀なくされた。

ワンダットに限らず、先住民はヨーロッパから運ばれてきた疫病に対する免疫を持たなかったため、しばしば部族が壊滅しかけるほどの死者を出すことになった。
ワンダットも一時的な移住先の名前からヒューロン族と呼ばれるようになってしまったが、彼らの本当の名前はワンダットだ。ワンダットの居住地ワンダケでは今、約3000人いるワンダットのうち、およそ1600人が暮らしている。

彼らは2008年、ワンダットの暮らしやテイストを感じることができるホテルをオープンさせた。ホテルには先住民のテント「ティピ」の形を模した博物館も併設されている。ワンダットが経済的に自立していくことを目指したこの試みは成功し、今、ホテルは年間稼働率65~70パーセントという人気を博している。

このワンダケの博物館で、僕にビーバー猟の話をしてくれたのがマークだ。
「じいさんはビーバーを捕らえるトラッパーだった。この部族の中で、じいさんは狩りだけで生計を立てていた最後のトラッパーだったんだ」

ビーバーはトラップ(罠)を使って捕まえる。だからビーバーを捕まえることを生業とした先住民は「トラッパー」と呼ばれた。一方、トラッパーからビーバーの毛皮を入手するヨーロッパ人は「ファー・トレーダー」(毛皮交易人)と呼ばれていた。
ヨーロッパ人は自らビーバーを捕まえることはできなかったため、肝心な部分は先住民のトラッパー頼みだった。そしてマークの家系は10代以上さかのぼってもずっと、ビーバーのトラッパーだったという。

マークと会ったこの日のケベックは、昼間だというのに氷点下10度を下回る気温だった。「ロングハウス」という名を持つ、かつてワンダットが集団で暮らしていた巨大な小屋を再現した施設でマークに話を聞くことになった。ホテルの客が宿泊もできるこのロングハウスは、防火の関係から壁を木でつくることができなかったものの、現代的な暖房器具があるわけでもなく、かなり忠実に当時を再現している。だからロングハウスの中の寒さは昔と同じだ。

足元から、手先から、寒さが体の中へと染み込んでくる。焚き火の暖かさだけを頼りに、マークの言葉に耳を傾けた。

ワンダット最後のトラッパー。それが目の前にいるマークのおじいさんなのだ。

この記事は2014年の取材に基づき、カナダシアター https://www.canada.jp/ に掲載したものを加筆・修正しています。

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しあわせ写真

凍りついたセントローレンス川とケベックシティ

凍ったセントローレンス川の向こうに、ケベックシティの街並みを見ることができる。「川が狭くなっているところ」を意味する先住民の言葉がケベックの語源となった。そこに毛皮交易のための丸太の砦が築かれたのだ。